パ・リーグの?争いは福岡ソフトバンクとオリックスの“2強”に絞られた観がある。
 開幕前から下馬評の高かったソフトバンクは当然として、オリックスのここまでの奮闘を予想した評論家は少なかったのではないか。


 森脇浩司監督の評判がいい。2年目の今季は完全にチームを掌握している。
 現役時代は近鉄、広島、南海・ダイエーと3球団を渡り歩き、主に“守備職人”として鳴らした。

 森脇の人間性について語る上で、’93年、32歳の若さで他界した津田恒実との関係を紹介しないわけにはいかない。
 84年に近鉄から広島にトレードされた森脇は、そこで津田と知り合う。森脇は最初「ぶっきら棒なヤツだな」と思ったというが、やがて肝胆相照らす仲となる。

 津田が森脇に体の異変を訴えたのは91年の3月だ。森脇は87年に南海へ移籍していた。
「最近、疲れがとれんのや」
 津田が脳腫瘍の診断を受けるのは、この1カ月後のことだ。余命は「年内いっぱい」――。

 ところが奇跡が起きる。津田は驚異的な回復を見せ、クリスマスイブに退院したのだ。
 2人は福岡市内の病院の前の公園で語り合った。

「まだ野球がやりたいか?」
「どうしてもやりたい」
「よし、もう一度オマエが野球をやれるようになったら会社に頼んでやるよ。その時はオレの給料の半分をオマエに回す。これなら会社もイヤとは言わんだろう」

 しかし、奇跡の時間は長くは続かなかった。症状は再び悪化し、2年後の7月、津田は永遠の眠りについた。
 友情という言葉が死語になりつつある昨今、思わずホロリとさせるエピソードである。

 話を好調のオリックスに戻そう。投手陣を支えるのが、目下12勝(6敗・8月26日現在)をあげパ・リーグのハーラーダービーのトップを走る西勇輝である。

「1球1球、責任を持って投げている」
 西がこんな言葉を口にできるほど成長した背景には、森脇の叱咤があった。

「1球に責任を持て!」

 昨年7月の北海道日本ハム戦で、西は気のない1球を投じた。ダメ押しとなる一発を浴び、オリックスは敗れた。
 直後に森脇から飛び出したのが先の言葉だ。

「監督は僕のことをよく見てくれています」

 西は、そう感じたという。

 18年ぶりの優勝を目指せる位置にまでチームを束ねた森脇の手腕は、もっと称えられるべきだろう。

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2014年8月22・29日号に掲載された原稿を一部再構成したものです>


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