ハビエル・アギーレ監督率いる新生日本代表は、ウルグアイに0−2で敗れ、ベネズエラと2−2で引き分けました。初陣で準備期間が短かったこともあり、監督も選手も思い通りのサッカーができなかったように映ります。しかし、焦る必要はありません。大事なのは2試合を通じて出た課題、チーム内の意識のズレなどを今後、いかに修正していくかです。
 アンカー採用の有効性

 アギーレ監督は、会見などで「守備を充実させたい」と言っています。2戦4失点は連係不足、ミスが大きな要因だったとはいえ、彼も少し戸惑ったでしょう。守備を整備しなければ、日本が世界で勝っていくことは難しいと実感したはずです。アギーレ監督には、根気強く、守備強化を進めていってほしいですね。

 そもそも、日本サッカーはこれまで、どちらかというと攻撃に主眼を置いてきたと私は見ています。監督が代わる度に「代表の守り方」も変化してきました。これでは、国内クラブ、育成年代のチームにも一貫した守備戦術を示すことができません。攻撃は選手のイマジネーションなどによる“変化”が大事ですが、守備に関して言えば、変化は“不安定”につながりかねません。アギーレ監督には、「これが代表の守り方だ」と言えるくらいの戦術、意識を選手たちに植え付けてほしいところです。

 その意味で、アギーレ監督がアンカーを採用したのは、いい試みだと思います。アンカーといえば、南アフリカW杯を戦った岡田ジャパンで採用されたことを記憶している人も多いでしょう。このポジションは、守備において極めて重要な役割を担っています。

 それは、守備の方向性を決めるということ。アンカーが左サイドに相手ボールホルダーを追い込もうと動けば、DFラインも連動して左側にずれる。プレスをかけにいく選手は、右側のコースを切る。アンカーを起点にして、周囲の守備連動をスムーズにするのです。現状、まだアンカーと周囲の関係性は上々とは言えませんが、徐々に改善されれば日本の守備の組織はより強固なものになるでしょう。

 アギーレ監督の守備を重視するという考えは、決して“守備的”ではないということを7月のコラムで書きました。いくら「攻撃的なサッカーを目指す」といっても、失点を繰り返しては試合には勝てません。サッカーを成り立たせる上で大事なのは守備を安定させること。ウルグアイ戦、ベネズエラ戦での4失点は、守備を見直す、いいきっかけになったのではないでしょうか。チームを立ち上げたばかりだからこそ、失敗しながらでも着実に守備の礎を築いていってほしいですね。

 光った柴崎の巧妙なポジショニング

 選手個々を見てみると、新体制のスタートで、いつも以上に「やってやろう」という姿勢が強く見てとれました。中でも武藤嘉紀は、自分らしさを存分に発揮していましたね。ベネズエラ戦ではドリブルで仕掛け、豪快なシュートを決めました。シュートを打つ時は、前方にいた本田圭佑にパスを出す選択肢もあったでしょう。しかし、武藤は本田の存在感を逆に利用しました。武藤は相手DFが本田を気にしたがゆえに空いたシュートコースを見逃さなかったのです。本田自身も「おとりに使われた」と語っていましたね(笑)。

 武藤のように積極的に仕掛けて、シュートも打てる選手が台頭してくれば、日本の攻撃のバリエーションは多彩になります。というのも、ドリブルができ、パスも出せ、シュートも打てるとなると対峙する相手DFに実行すべきプレーを判断しづらくさせるからです。相手がシュートコースを消そうとすれば、空いたスペースにパスを出す。逆にパスコースばかりを気にしていれば思い切ってシュートを打つ。武藤に警戒が強まれば、その分、本田や香川真司へのプレッシャーが分散することにもなります。武藤のように「俺が」という意志を持った選手に、もっと出てきてもらいたいですね。

 そして、柴崎岳も武藤に負けないくらいの輝きを放っていました。ベネズエラ戦で素晴らしかったのは日本が守から攻へ移行した時のポジショニングです。柴崎はマイボールになると、相手のサイドバック(SB)とサイドハーフ(SMF)の間にうまくポジショニングしていました。

 柴崎の位置は、SBはマークにつこうにも後方にスペースをつくってしまうために押し上げづらい場所です。加えてSMFは攻撃に参加していれば、容易に戻ることができない位置になります。私の現役時代、ジーコがよく柴崎と似たようなポジショニングをとっていました。こうしてフリーになりやすいポジションにいるからこそ、攻撃の際にボールが集まってくるのです。もっと周囲の選手が柴崎の動き出しに合わせてパスを出せていれば、チャンスをつくり出せたであろうと感じる場面もありました。このあたりは時間をかけて互いに擦りあわせていく部分になるでしょう。

 上々の代表デビューを飾った柴崎ですが、課題もあります。それは守備。ベネズエラ戦では、攻撃から守備に転じた時に、動き出しが遅れる場面が見受けられました。周囲と連動して相手を組織的に追い込むためには、攻守の切り替えをもう少し速める必要があります。これは鹿島で意識して取り組めば、きっと克服できるはずです。さらにレベルアップして、柴崎には代表を率いる選手になってほしい。いや、彼ならなれる。そう私は信じています。

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima-hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。
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