昨年10月、老衰のため93歳で亡くなった川上哲治は14年間の監督生活で「2度ばかり辞めようと思ったことがある」と生前、語っていた。
 1回目は64年のオフ。この年、巨人はリーグ優勝を逃したばかりでなく、優勝した阪神に11ゲームもの大差をつけられた。
「優勝できなかったことに加え、広岡達朗のトレード問題(結局は残留)がからんで、えらいマスコミから叩かれましてな。それが原因で家内がノイローゼ気味になり、とうとう直腸腫瘍にまでなってしまった。私はガンだと思ったが、幸いにも医者はそうじゃないという。しかし、いつまでもこんな生活を続けていると、いつか家内を殺してしまうし、子供の教育にも悪い。そう思って辞める決心をしたんですよ」

 しかし、球団は慰留し、川上も翻意した。
「もう1年だけやってみろ、というんです。それならばと開き直った。どうせ負ければクビですから……」。翌65年から?9がスタートするわけだから、結果的に川上の続投は吉と出たのである。

 6連覇の直後にも、川上は球団に辞任を申し出る。
「この時は、あんまり勝ち過ぎたもので“ジャイアンツが優勝すると決まっているような野球は面白くない。これじゃプロ野球は潰れる”なんていう論評が出始めた。それにつられて巨人ファンまでもが“最後の最後まで(優勝の行方が)わからんような形で勝ってもらうほうが面白い”などという。勝ち過ぎはいかん、と言われりゃ、もうこっちは辞めるほかない。この時もオーナー(正力亨)に励まされて、結局は続けることになったんです。まぁ、巨人の監督をやっていると、いろんな辛い目に遭いますよ。自分のことだけならともかく、家族のことまで、あれこれ言う人間がいるんだから……」。インタビュー中、川上の表情には終始、諦観の色が浮かんでいた。

 チームを3年ぶりのリーグ優勝に導いた福岡ソフトバンク監督の秋山幸二が今季限りでの退任を発表した。辞任の理由については「指導者として10年、監督として6年でひとつの区切りとしたかった」と語ったが、背景には夫人の病気もあったと言われている。シーズン中は冗談めかして「胃薬が手放せない」と苦笑していた。優勝の際の涙は歓喜ではなく重圧からの解放のように映った。監督業とは、かくも過酷なのか……。 

<この原稿は14年10月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから