バレーボールの全日本男子がオリンピックで金メダルを獲ったのは1972年のミュンヘン大会だから、今から42年前のことである。
 64年の東京大会で銅、68年のメキシコ大会で銀と着実に力をつけ、ついに表彰台の真ん中に立ったのだ。


 ところが、である。それ以降は右肩下がりで、2000年代に入ってからは五輪出場も08年の北京大会の一度のみ。前回のロンドン大会は世界最終予選で敗退した。
 現在の世界ランキング(9月22日現在)は21位。アジアの中ではイラン、韓国、中国に次いで4番目である。

 今年2月に監督に就任した南部正司は低迷打開に向け、全日本男子の若返りに着手した。その代表格が柳田将洋(慶大4年)、山内昌大(愛知学院大3年)、石川祐希(中大1年)の“大学生トリオ”である。

 準優勝を果たした先の仁川アジア大会では石川の活躍が目立った。

 石川は身長191センチ、体重74キロのウイングスパイカー。バレーボールの世界にあっては決して長身ではないが、高い打点から放つスパイクやジャンプサーブは威力がある。勝負強さも兼ね備え、高校(愛知・星城)時代は、6冠(高校総体、国体、高校選手権でいずれも連覇)を達成している。

 石川がアジア大会でチームを救ったのは、準々決勝のインド戦だ。日本は第1、3セットを奪われ、崖っぷちに立たされていた。
流れを変えたのは第4セット、スタメンで投入された石川だった。得意とする強烈なジャンプサーブや高い打点からのスパイクを相手コートに次々と突き刺した。さらにはブロックも決めるなど、攻守にわたって活躍し、指揮官の期待に応えた。

 この石川の活躍もあって日本は第4セットを25−20、第5セットを15−13と連取し、準決勝にコマを進めることができたのである。
 自信を深めた石川は準決勝の韓国戦、決勝のイラン戦でも躍動した。アジア最強のイランにはセットカウント1−3で敗れたものの、石川はエース清水邦広に次ぐ、チーム2位の18得点をマークした。

 この石川について「楽しみな存在」と語るのはベテランの越川優だ。
「久しぶりに欲の強い若手が出てきましたね。彼は試合後、いつも“もっと試合に出たい。もっとプレーがしたい”と口に出して言うんです。試合中も出たくてうずうずしているのがわかる。
 こういう性格の選手は、最近の若手には珍しい。柳田、山内も含めて、この3人は練習よりも試合の方がいいプレーをする。いわゆる本番に強い選手たちなんです」

 アジア大会後、石川の海外リーグ挑戦が発表された。イタリア1部リーグ(セリエA)のモデナで12月から3月までプレーするのだ。現役大学生の海外挑戦は、日本バレーボール史上初めてのことである。
 世界最高峰のプロリーグで、どれだけ成長するか。今では五輪出場をも危うい全日本男子の未来をも占う存在である。

<この原稿は2014年11月23日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>


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