成績が下降しているチームなら、大ナタを振るえばいい。新監督に求められる役割は簡単だ。
 むしろ、カジ取りが難しいのは上げ潮ムードのチームを任されたケースだろう。前任者の路線を踏襲しながらも、自らの色を加えなければならない。ただ継承するだけなら新監督の意味はない。


 広島は上昇気流に乗りつつある。昨季、16年ぶりにAクラス入りを果たし、今季は9月まで巨人と優勝争いを演じた。最終戦で阪神に敗れ、2位は逃したものの、13年ぶりにシーズン勝ち越しを収めた。

 前監督の野村謙二郎は退任にあたり、「優勝を狙えるチームはつくった」と言い切った。ならば続投しても良さそうなものだが、シーズン前から今季限りでユニホームを脱ぐことを決めていたという。

 バトンを受け取ったのが野手総合コーチの緒方孝市だ。早くから“ポスト野村”の有力候補として名前が挙がっていたチーム生え抜きのエリートである。
 現役時代は好守好打俊足の外野手として鳴らした。1995年からは3年連続で盗塁王に輝いている。パワーもあり、99年には36本塁打を記録した。

 緒方の名前がメディアをにぎわせたのはFA権を取得した99年のオフだ。いくつもの球団が獲得へ手ぐすねを引いていた。とりわけ緒方を狙っていたのが巨人だ。監督(当時)の長嶋茂雄がご執心で、多くのメディアが緒方の巨人入りを規定路線のように報じた。

 しかし、緒方は広島に残る道を選んだ。FA宣言を封印した理由は定かではないが、自らを育ててくれたチームへの思いが強かったのは確かだろう。

 余談だが、緒方獲りの目算が外れた巨人は、FA宣言したチームメイトの江藤智を獲得する。その江藤は長嶋が背番号「3」に戻るのに伴い、それまでつけていた「33」を継承した。もし緒方が巨人入りしていれば、背番号はどうなっていたのだろう。

 さて緒方は、どんなチームづくりを目指すのか。監督就任にあたり、「投手力を含めた守りの野球を徹底的に行い、攻撃面では、もっともっと使えるはずの機動力を全面に出していきたい。接戦に持ち込んだ時にしっかりと勝ちきれる野球を目指していきたい」と施政方針を口にした。

 12球団で最も優勝から遠ざかっているのが広島である。最後にリーグ優勝を果たしたのが91年だから、若いファンには歓喜の記憶がない。

 それだけに緒方にかかる期待は大きい。引退後、5年間にわたってコーチを務めていただけに、頂点を見据えた時、チームに何が足りないか、何が欠けているかを誰よりも知悉している。

 佐賀県出身の監督としては98年に横浜を38年ぶりの日本一に導いた権藤博以来である。「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」とは有名な『葉隠』の一節だが、「これが自分にとって最後の大きな行事」との緒方の言葉に覚悟の程が見てとれる。

<この原稿は2014年11月9日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>


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