11月、「愛媛FCの顔」とも言える2人の男がチームを去るという衝撃的なニュースがクラブ事務局より発表された。
 契約満了に伴い、愛媛FCを退団することになった関根永悟選手。そして、今シーズンをもって監督を退任する石丸清隆さんの両名である。
(写真:石丸清隆さんを9年間見守った応援幕)
 関根選手は、JFL参戦の最後の年となる2005年に加入し、J2リーグ昇格に貢献。約10年間、チームで活躍してきた名プレーヤーである。明るい性格から、チーム内のムードメーカー的な役割もこなし、各種の広報イベントやボランティア活動などでも目立つ存在だった。

 試合では、主にサイドバックのポジションから積極的な攻撃参加で、得点チャンスを創り出した。華麗とは言わないが、随所で身体を張ったプレーで魅せてくれる選手だった。そんな泥臭いプレースタイルのせいか、最近はケガや疲労の蓄積もあって本隊とは別メニューの練習を消化する日々が続き、出場機会にも恵まれず、不本意なシーズンを過ごしていたのである。

 フレンドリーで優しい性格も持ち合わせている関根選手。普段からファンサービスを欠かさず、いつもサポーターの動向や活動も気に掛けてくれていた。 私たちが開く会合にも参加してくれて、サポーター個々の悩みや相談にまで耳を傾けてくれていた好青年でもある。故にファンも多く、今回の退団を寂しがる声も日増しに大きく聞こえてくる。
 
 
 石丸清隆さんは、現役選手として2005年のシーズン途中から愛媛に期限付き移籍のかたちで合流し、こちらもJ2リーグ昇格に貢献してくれた方である。メンタル面が強い印象で、試合の大事な局面にてチームを鼓舞し、精神的な主柱となるプレーヤーだったことを思い出す。当時、私も石丸選手の横断幕を作って応援していたが、2006シーズン終了後、惜しまれつつも現役を引退することになった。

 その後、スタッフとしてコーチを経験し、2010年にはユースチームの監督に就任。プリンスリーグ四国にてユースチームを優勝に導き、翌年には、高円宮杯U−18サッカーリーグプレミアリーグにも参戦した。2013年からはトップチームの監督に就き、今季は2年目のシーズンだった。
 
 退任の理由として、成績不振を一番の要因としていたが、「自分の目指すところとチームが目指すところに違いが生じたため、自分が退いた方が良いと思った」というニュアンスのコメントも残している。石丸監督としては、「最初から成績面にこだわるよりも、まずは地元出身選手の育成を大事に進めるクラブづくりを行いたい」との考えを持っていたようである。

 確かに愛媛には、巨大な冠スポンサーがついているわけでもなく、限られた資金でクラブを運営していかなければならない。成績アップのために莫大な費用を投資できる状況にはないのだ。「それならば、地道に選手の育成から取り組み、外から優秀な選手を獲得するよりも内から優れた選手を生み出すようなクラブを目指したい」と考えていたのではないだろうか。

 しかし、クラブ側としては「3年間のアクションプランを掲げている以上、悠長なことは言っていられない」という立場であろう。それならば、石丸監督の就任前に、お互いの理想や思惑を確認の上で方向性や計画をすり合わせていれば、現時点において目指す部分での食い違いも生じなかったのではないかと感じる。その点は心残りである。
 
 
 11月15日(土)、今シーズンのホームゲーム最終戦の試合後、関根選手と石丸監督を送り出す、お別れのセレモニーが行われた。
 関根選手は、「この10年間、叱咤激励してもらい、本当に頑張れました。ありがとうございます! 今後、まだまだ現役を続けていくつもりなので、33歳、男・関根永悟は、これからも進んでいきます!」と現役続行を宣言。
 
 石丸監督は、「僕はチームを去ることになりますが、これからも愛媛FCは存在します。来年は、愛媛FCがJに参入してから10年目になります。この街に、Jリーグがあることの素晴らしさを今一度、考えて頂いて、皆さんで魅力あるクラブをつくっていってもらいたいです。このチームは、皆さんの後押しが絶対必要です。これからも応援よろしくお願いします。今まで本当にありがとうございました!」と挨拶した。
 
 セレモニー終了後、選手とスタッフがサポーターが待つゴール裏スタンド前へと移動し、最後の挨拶をして廻った。石丸監督はトラメガ(拡声器)を握りしめ、「結果が出ない時にも熱い声援をくれたサポーター、支えてくれた選手・スタッフに本当に感謝の気持ちでいっぱいです! 本当に本当に、ありがとう!」と気持ちを伝えていた。直後、サポーターは「バーモ! バーモ・バモ! いーしまーる!」と現役時代から続く、石丸監督の応援チャントを歌い、労った。
 
 続いて関根選手は、「みんな愛してます! 大好きです! まだまだ頑張ります! よろしく、サンキュー!!」と絶叫。彼らしくユーモアがありつつも、少し寂しげにも聞こえるコメントであった。サポーターは、これに応えるように、「はーしれ! せきねえーいごー! ラララ・ララララ・ラララララー!」と関根選手を称えるチャントを大合唱。そして、最後の最後に、勝利のラインダンスをサポーターと選手・スタッフ全員で踊り、ホームゲーム最終戦を締めくくった。
 
 昨年の赤井選手に続いて、愛媛の象徴的な存在である関根選手と石丸監督の2人が、志半ばでチームを去ることになり、残念に感じる。「長年に渡り、チームやクラブのためだけでなく、地域のためにも貢献してくれた2人だけに、もう少し、その功績を称え、労うための時間や場所を設ける心遣いがあっても良かったのではないか」と思えて仕方がない。


松本 晋司(まつもと しんじ)プロフィール>
 1967年5月14日、愛媛県松山市出身。
 愛媛FCサポーターズクラブ「Laranja Torcida(ラランジャ・トルシーダ)」代表。2000年2月6日発足の初代愛媛FCサポーター組織創設メンバーであり、愛媛FCサポーターズクラブ「ARANCINO(アランチーノ)」元代表。愛媛FC協賛スポンサー企業役員。南宇和高校サッカー部や愛媛FCユースチームの全国区での活躍から石橋智之総監督の志に共感し、愛媛FCが、四国リーグに参戦していた時期より応援・支援活動を始める。


◎バックナンバーはこちらから