彼女こそは「氷上のアクトレス」と呼ぶにふさわしいアスリートだった。
 2002年ソルトレイクシティ大会5位、06年トリノ大会4位と五輪2大会連続入賞を果たしたフィギュアスケートの村主章枝が引退を表明した。


「“え、まだやっていたの?”と驚かれる方は多いと思うが、どうしても五輪のリンクに立ちたい」
 との思いで現役を続けてきたが、次の平昌大会は37歳で迎えることになる。

「もう潮時かなと思った」
 村主の最大の武器は豊かな表現力だった。

 振付師ローリー・二コルから贈られた「Please skate from your heart」との言葉がスケート人生を支えた。
「大事なのは“心でスケートをする”ということ。見に来ていただく方がいるからこそフィギュアスケートは成り立っている。だから絶対にお客さんのことを無視した演技はできないのです」

 フリーの4分の持ち時間が、いつも短く感じられた。情感たっぷりの演技を人は「村主ワールド」と呼んだ。

 それについて、本人に訊ねたことがある。村主の説明は明解だった。
「リンクのドアを閉められれば、もう逃げ場はない。自分を隠す余裕なんてなくなるんです。ブチ当たった時に自分本来の姿が見えてくる。そして、それがフィギュアスケートの魅力でもあるんです」

 リングに逃げ場はない、とはボクシングの世界でよく用いられる言葉だが、同様にリンクにも逃げ場はないのだ。

 競技場の通路とリンクとの間のドアがピシャリと閉じられれば、もう戦うよりほかにない。泣き言も弁解も許されない。華麗に映るフィギュアスケートだが、その内実は過酷である。

 村主は続けた。

「フィギュアスケートをやっていて、満面の笑みで“これはよかった”と思うことなんて、ほんの少ししかない。そのほとんどが苦しみや悩みといっていいくらい。
 試合が決まっても、調整が間に合っていない時がある。諦めるか、他の人に助けを求めるか、それとも自分で解決するか……。私はフィギュアスケートを通して人生の勉強をしているんです」

 水面では優雅な姿を浮かべている白鳥も、水の中では必死になってもがいているという。村主の話を聞いていて、その話を思い出した。

 今後は振付師を目指すという。きっと豊富な経験が生きるはずだ。

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2014年11月28日号に掲載されたものです>


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