「当然、今回も(総合優勝を)狙いに行くんですけど、実際のピークは次なんですよ。今回はプレッシャーが少ない中で、勝てればいいなと……」
 箱根駅伝の3週間前、青山学院大学陸上競技部の原晋監督は東京・町田の合宿所で、そう語った。
 総合優勝を狙えるだけの力は身に付けた。しかし、まだウチが本命だと言い切れるだけの自信はない――。そんなニュアンスだった。


 ところが、どうだ。フタを開けてみると、史上初めて10時間50分を切る10時間49分27秒という驚異的なタイムで、2位・駒澤大に10分50秒もの大差をつけて初優勝をとげた。

 青学大は10区間のうち5区間(4区・田村和希、5区・神野大地、7区・小椋裕介、8区・高橋宗司、9区・藤川拓也)で区間賞を獲った。

 とりわけ最長距離の山上りの5区を制した神野の活躍が大きかった。5区でトップに立った青学大は、以降、一度も後塵を拝することがなかった。

 本番前、原は3つのパターンを考えていた。1つ目は1区から3区に俊英を揃える「前半重視型」、2つ目は勝負どころの5、6区に軸を置く「山重視型」、3つ目は復路に主力を2、3枚残す「後半重視型」である。

 結局、選択したのは第4のパターンとも言える「バランス重視型」だった。
 原は語った。
「1、2区で上位につける。3、4区は初出場の2人なので、どれだけしのげるか。5、7、9区に主力を配し、勝負をかける。結果、不安を感じていた4区の1年生が区間新を記録するなど、“うれしい誤算”もありました」

 原は青学大のOBではない。広島・世羅高、中京大を経て中国電力に入社し、陸上部に籍を置いた。しかし故障もあって5年で現役生活に別れを告げ、それ以降の10年間はサラリーマン生活を送っていた。

 そんな、ある日のことだ。青学大OBである世羅高の後輩から声がかかる。
「先輩、うちの母校が駅伝を強化することになったのですが、監督をしてみませんか?」
 とはいえ、青学大は箱根から28年も遠ざかっていた。原によれば「ゼロからというよりもマイナスからのスタート」。出場を果たしたのは監督就任5年目だった。

 12年は5位、13年は8位、14年は5位と着実に力をつけ、強豪の仲間入りを果たした。
 頂点を極めるためには、どうすべきか。決め手は選手たちのコンディショニングだった。
「メンバーを故障させずにスタートに立たせたい」

 そこにこだわった昨年からテニスプレーヤーのクルム伊達公子などのトレーナーを務めた中野ジェームズ修一の指導を仰いだ。
「一番大きかったのは、故障者が減り、選手の動きが変わったこと。カッコよく走れるようになりました」

 新シーズンは今回の箱根を走った10人のうち8人が残る。青学大の黄金時代到来か。

<この原稿は『サンデー毎日』2015年1月25日号に掲載されたものです>


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