対戦するバッターの多くは、自らの子どもくらいの年齢である。今年の高卒ルーキーとは31も齢が違う。
 中日の山本昌が32年目のシーズンを迎えた。この8月11日で50歳になる。


 言うまでもなく、プロ野球史上、50歳で白星をあげたピッチャーはひとりもいない。それどころか、139年の歴史を誇る米メジャーリーグにおいても皆無だ。
 ちなみにメジャーリーグでの最年長勝利記録は2012年4月、当時ロッキーズのジェイミー・モイヤーがつくった49歳151日である。
 すなわち今季、山本はいつ白星をあげても「世界記録」となる。しばらくは破られないのではないか。

 しかし、偉業への道のりは容易ではなさそうだ。3月3日の2軍の教育リーグに登板した際、投球で足を踏み出した際に右ヒザを痛めてしまったのだ。
 無念の思いを本人は、こう告白している。
<キャンプから思い通りにできていただけに悔しい。そういうところも年なのかなと思う。若いころならバランスを崩して「おっとっと」で済んでいたことがけがにつながってしまう。そういうことも考えて、もっと慎重にやらないといけなかった>(中日新聞3月25日付)

 残念ながら復帰のめどは、まだ立っていない。

 ところで山本とモイヤーには共通点がある。ともに技巧派のサウスポー。球速は130キロそこそこだが、それをバッターに140キロにも150キロにも見せる技術を持っている。緩い変化球もある。時折、ヒザ元にズバッと投げ込むストレートが右バッターの目を惑わせるのだ。復帰登板で、このボールが投げられれば「世界記録」達成も可能だろう。

 入団時から将来を嘱望されていたわけではない。ドラフトは5位。この年中日の1位は、甲子園で最多タイとなる8打数連続ヒットを記録した地元・享栄高出身の藤王康晴だった。
 神奈川県下でしのぎを削った横浜商高の三浦将明は3位指名を受けた。甲子園で華々しい活躍をしたこともあり、球団の評価は山本よりも上だった。

 その三浦から、山本に関するこんな昔話を聞いたことがある。
「付き合いもよく、仲間たちと飲みにも行った。しかし深酒は絶対にしなかった。(酒宴が)盛り上がる頃には、ひとりで先に帰っていました」
 自制心は教えて育まれるものではない。自らの置かれている立場を、彼は早くから自覚していたのだ。

 プロ入り4年間は勝ち星なし。87年には享栄高から近藤真一(真市)が入団した。このドラフト1位左腕はデビュー戦で、いきなりノーヒットノーランを達成した。
「この夜はショックで一睡もできなかった」
 そんな裏話を聞いたのは、山本が200勝を達成してからである。

 危機感をバネにして、ここまで生き延びてきた。「プロに入って以来、心休まる日は1日もなかった」と語っていた。
 今も、その心境に変化はないだろう。枕を高くして眠れる日が来るのは、まだ先になりそうだ。

<この原稿は『サンデー毎日』2015年4月19日号に掲載されたものです>


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