優勝した巨人から最下位・広島までのゲーム差は、わずか6.5。巨人がV9を達成した1973年のペナントレースで、監督の川上哲治をして「あの試合がヤマだった」と言わしめたゲームがある。
 8月5日、甲子園球場での阪神−巨人戦。この時点で首位・中日と4位・巨人とのゲーム差は5.5。「ここにきて5ゲーム以上の差を付けられると(優勝は)苦しい」。川上は周囲に、そう漏らしていた。

 9回表2対1。阪神1点のリード。いよいよ巨人は追い詰められた。2死一、三塁でバッターは7番・黒江透修。マウンドには3回途中からリリーフの江夏豊。

 黒江は江夏の真っすぐに的をしぼった。前の打席はセンターライナーに倒れている。打球に、もうひと伸び欲しい。そう考えた黒江はそれまでのバットを後援者からもらったルイビル製のものに代えた。「憧れのメジャーリーガー、アーニー・バンクスが使っていたんだよ」

 舶来のバットは夏場の湿気を吸収して、すっかり重くなっていた。その重さを逆に利用しよう…。いつもより一握り分、さらにグリップを余して持った。強く叩いた打球はセンターへ。打った瞬間、黒江は「センターを超えた」と思った。ところがセンターの池田祥浩は前方へ。バンザイの姿勢のまま、芝生に足をとられて転倒した。打球がフェンス際に転がる間にランナー2人が生還。記録は三塁打。劇的な逆転勝ちをおさめ、宿舎へ帰る巨人のバスはお祭り騒ぎとなった。川上は上機嫌でヒーローを称えた。「黒ちゃんのお陰で、首の皮一枚つながったよ」

 だが黒江によれば、勝負を分けたのは、その前のプレーだった。「1死一、二塁で末次民夫の打球は二塁手の野田征稔の前へ。本当なら4−6−3のゲッツーで終わりだったんだ。ところが野田は一塁走者の長嶋茂雄さんにタッチにいき、手間取って一、三塁にしてしまった。あれで流れが変わったんだよ」

 バンザイの池田は、巨人と阪神の優勝争いが最終戦にまでもつれ込んだため、「オマエの“落球”で阪神は優勝を逃したんだ」という心ないヤジに随分、悩まされ、59歳で世を去るまで、そのことを気にかけていたという。「落球の汚名は気の毒だったね」。黒江はポツリと言った。

 セ・リーグは73年に勝るとも劣らない混戦が続いている。どんなヤマ場が待っているのか……。

<この原稿は15年6月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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