100周年を迎える高校野球の“七不思議”のうちのひとつといっても過言ではあるまい。
 春夏通じて東北勢は10回、決勝に進出しているが、まだ1校も頂点に立っていない。


 光星学院(青森)に至っては2011年夏、12年春、12年夏と3大会連続で決勝にコマを進めたが、11年夏は日大三(西東京)、12年の春夏は大阪桐蔭の厚い壁に阻まれた。

 個人的に思い出深いのは1969年夏の三沢(青森)だ。エースの太田幸司擁する三沢は四国の古豪、松山商(愛媛)に決勝で延長18回引き分け、再試合の死闘を繰り広げた。延長18回にまで及んだ試合では、何度もサヨナラ勝ちのチャンスを迎えたが、あと一歩及ばなかった。
 余談だが、甲子園が生んだ最大のアイドルと言えば“幸ちゃん”こと太田だろう。<青森県 太田幸司様>だけでファンレターが届いたというから驚きだ。

 かつて、高校野球は明確に“西高東低”の勢力図を敷いていた。寒冷地の北海道、東北のチームが、西日本の強豪に勝つのは至難の業だった。
 ところが近年は温暖化で雪が少なくなったことに加えて、寒冷地にも充実した練習施設を持つチームが増えはじめ、以前ほどの“格差”はなくなった。関西や関東から有望選手を集めるチームも少なくない。

 紫紺の大旗、深紅の大旗は、いつ白河の関を越えるか。10年以上前までは、それが高校野球の大きな関心事だった。

 ところが大旗は白河の関よりも先に飛行機で津軽海峡を越えてしまった。
 04年夏、南北海道代表の駒大苫小牧が北海道勢としては初めて全国制覇を果たしたのである。同校は翌年の夏も頂点に立ち、史上6校目の夏連覇を達成した。

 そろそろ東北に歓喜が訪れてもいいのではないか。ここ3年間を見ても、12年春夏は光星学院(青森)、13年夏は日大山形と花巻東(岩手)と3校がベスト4以上に進出している。足りないのは、ほんの少しの運だけだ。

<この原稿は『週刊大衆』2015年8月17日号に掲載されたものです>


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