ヒューストン・アストロズの松井稼頭央内野手が16日、ミルウォーキーで行われたブルワーズ戦で日米通算2000本安打を達成した。大台まで残り1本として迎えたこの試合、3回の第1打席でショートへの内野安打を放った。日米通算で2000本安打を記録したのは、イチロー(マリナーズ)、松井秀喜(ヤンキース)に次いで3人目。日本で達成した選手も含めると史上40人目で、スイッチヒッターとしては柴田勲氏(元巨人)以来2人目となる。
▼二宮清純特別コラム「未完のショート・ストップ」を掲載
 残り1本が長かった。9打席ぶりのヒットだった。3安打を放って王手をかけた13日から、2試合連続ノーヒット。前日のゲームではプレッシャーからかバットが思うように出ていなかった。大台到達への生みの苦しみは、まさに松井のメジャーリーグでの苦労を表しているようだった。

 走攻守3拍子揃った内野手として、鳴り物入りでメッツ入りしたのは2004年。開幕戦で初打席初球ホームランを放って、ニューヨーカーの度肝を抜いた。しかし、以後は環境になじめず、ケガもあって打撃、守備ともに精彩を欠いた。ポジションはショートからセカンドへ、そしてベンチウォーマーへと移り変わり、06年のシーズン途中、追われるようにロッキーズへ移籍した。

 だが、大都会の喧騒から離れたコロラドの地で、松井は本来の姿を取り戻す。2007年はメジャー移籍後最高となる打率.288、32盗塁をマーク。セカンドの守備もシーズン4失策と安定感をみせ、ロッキーズのワールドシリーズ進出に大きく貢献した。現地での評価を上げて08年からはアストロズへ移籍。故障もあって戦線を離れることも少なくないが、チームには欠かせない存在となっている。

 記念の一打はカウント1−1から外へ落ちる変化球をとらえた。三遊間へのゴロは、なんとかショートがグラブにおさめたものの、松井の足をもってすれば悠々セーフ。クリーンヒットではなかったが、持ち味が充分に出た2000本目だった。

 メジャーリーグの6年間で積み重ねた安打は567本。盗塁は94。日本では9シーズン1159試合で1433安打、306盗塁を決めた。ペースは落ちたとはいえ、未だに走攻守のレベルは、どれをとっても高い水準にある。2000本安打は松井の野球人生にとって、まだ通過点である。


 未完のショート・ストップ 松井稼頭央

 アレキサンダー・カートライトが生きていたら、これだけは聞いてみたいと思っている。なぜ塁間の長さを23.43mに設定したのかと。
 三遊間、あるいは二遊間へのボテボテのゴロを打つ。その打球を遊撃手、二塁手が捌き、矢のような送球を一塁手に送る。打者走者は、全力でファーストベースを駆け抜ける。アウトかセーフか、タイミングは間一髪。ここにベースボールの醍醐味が集約されている。

 日本プロ野球では、年間、1300本あまりの内野安打が生産される。もしメジャーリーグの内野手を相手にした場合、おそらくこのうちの半数近くが凡庸なる内野ゴロと化してしまうだろう。かつてのオジー・スミスにしろ、今のレイ・オルドネス(メッツ)にしろ、メジャーリーグを代表するショート・ストップは、ゴロをグラブに入れない。クラブはただの緩衝材であり、そこにゴロを当てるや否や、すぐ右手に持ち替え、速くて正確なスローイングをする。ゴロを捕る、フォームを起こす、スローイングする。この一連の動作がワン・タイムの中で処理される。分かりやすくいえば、彼らは捕ったら投げている。手間ひまかけない。ゴロを処理する際の無駄を徹底して省き、所要時間を極限まで削りとる。それがメジャーリーグのショート・ストップ、あるいはセカンド・ベースマンの姿である。彼らはミクロの単位に生き、息苦しいほどのリアリズムの中に平然と棲んでいる。

 野球はベースボールに近づけるのか。命題は無意味であり、議論は時間の浪費である。それでも未来を語りたいなら、彼の可能性を吟味することから始めてみればいい。松井稼頭央、22歳。日本でただ一人のワールドクラスのショート・ストップ。世紀末、幸運にも我々は掛けがえのない才能を得た。さらに彼はズバ抜けた足を持っている。昨季、62盗塁。底知れぬ身体能力、センス、そして闘争心。桜にたとえていえば、せいぜい五分か六分咲き。満開になる頃、彼はどこにいるのか。

――あなたほど深く守るショートは記憶にない。大橋譲、定岡智秋、河埜和正……かつてトップクラスといわれたショート・ストップもあなたの前では色褪せる。三遊間なら、どこに飛んでも殺せますか?
松井 はい、捕れれば(笑)。

――ショートに転向して、まだ5年目。もの凄い進歩です。でもグラブの中に、ボールがある時間、これはもっと短縮できませんか?
松井 だいぶマシにはなってきましたが、まだまだですね。それに僕、まだグラブの網で捕っているんですよ。(グラブの)芯では捕っていない。芯だったら、ちょっとはじいてしまうような気がするんです。

――ポケットはやや深めですか。
松井 はい、もともと深いんです。逆に深くなかったら不安なんです。(ポケットが)浅いとポーンとはじいてしまうような気がして。ただ、グラブでボールを握ったりはしない。その前にもう投げてしまっています。

――三遊間の守備は天下一品ですが、二遊間は捕り損ねることがありますね。それはなぜでしょう?
松井 三遊間の場合、打球に対してスッと入れるんですけど、二遊間の場合、直線的にパッと行ってしまうのでボールに届かないことがある。もっと膨らんで捕るようにとコーチからも注意されています。

――要するにスピードがあり過ぎて、ゴロとケンカしてしまうというわけですね。ダッシュがききすぎるあまり、ゴロに対し直線的に走って行ってしまう。膨らみながら処理すれば、距離的にも何の問題もないでしょう。
松井 そう、どうしてもゴロとグラブが衝突してしまうんです。なぜ、直線的に行ってしまうのかは僕にも分からない。それは練習の時から意識しているんですけど、捕れたと思ったのにグラブの下を抜けたりするとガックリきますね。自分でも、まだまだ二遊間の球際には問題があると思っています。

――きっと、それはキャリアが解決することなんでしょう。条件反射的にパッと前に出るより、膨らみながら捕ったほうが、より広範囲なゴロのコースに対応できるし、あなたの肩なら、慌てなくても十分に殺すことができると思います。もし、二遊間のゴロも三遊間なみに処理できれば、今すぐメジャーリーガーですよ。
松井 いえいえ、メジャーは無理ですよ。守りのリズムとか足の運びとか、勉強するところはまだまだたくさんあります。それにスローイングにも問題があります。意識して上から放るようにしてはいるんですが、最近ちょっと送球がシュート回転してしまうんです。捕ってすぐ放ると、ヒジが下がっているせいか、シンカーみたいに沈んでしまう。余裕のない時、特にそうなります。このあたりも直す必要がありますね。

――次に足の話ですが、これは鈴木康友コーチも言っていましたが、トップスピードに入るのがじつに速い。ギアにたとえていえば、ローからいきなりトップに入るような印象を受けます。2歩目、あるいは3歩目でもうトップスピードに入っているでしょう?
松井 昔から構える姿勢は低かったんです。監督からは「(低くして行くぞ、というより)行くのか行かないのか分からないようなフリをしろ!」と言われますが、これができないんです。どうしても低くドシッと構えてしまう。それが僕の自然体なんです。

――一番、加速のつく瞬間は?
松井 一塁を蹴って、二塁の間くらいじゃないでしょうか。二塁を回ると、どうしてもバテてしまう。三塁打なんて、一番しんどいですね。もう勢いで行っているようなものです。

――走る時にカウントや球種は考えますか? ストレートよりも変化球で走ったほうが、当然、成功率は高くなりますが。
松井 それが僕の場合、全く読まないんです。カウントも球種も考えないですね。逆に、考えると走れなくなるような気がするんです。

――ベンチからの指示は?
松井 それも特にありませんね。せいぜい1球待てとか、ワンストライクとられてからにしろとか、コントロールが悪いから様子を見ろとか、そのくらいですよ。

――ご自分でも、スピードには自信があるでしょう?
松井 それが、全く感じないんです。特にテレビで見たりすると、もの凄く遅く感じますね。自分のイメージよりも、明らかに遅い。“へぇー、こんなもんか……”って思ったりしますよ。

――それは意外ですね。パ・リーグのほとんどのキャッチャーが、「一番、殺し甲斐がある」と口を揃えているというのに……。
松井 自分で満足していないんでしょうね。うちにいたダリン・ジャクソンのトレーニングコーチに「まだ速くなれるか?」と聞いたら、「鍛え方によったら、もっと速くなる」と言ってくれました。うちのコンディショニングコーチの宮本さんも同じことを言いますね。

――瞬発力の源となる太股のサイズは?
松井 58cmくらいですか。でも、高校時代は60くらいあったんですよ。ピッチャーやってたんで、短い距離をずっと走らされたんです。でも、内股なのがちょっと嫌でしたね。

――最後にバッティングについてお訊きします。いわゆる“作られた左”ですが、当てにいって内野安打を狙うようなバッティングをしませんね。そこに志の高さを感じます。
松井 あまり、そういうバッティングが好きじゃないんです。いいボールが来たら、1球目から振っていきます。どんなボールを狙うとか、一切、決めていない。だから初球を打って、次のバッターから「どんなボールだった?」と聞かれても、答えられないんです。

――2−0のカウントから2割8分6厘。普通、2割5分も打てれば上出来なのに、これだけの打率を残せるのは、あなたが規格外れという証拠です。同じカウントで、イチローでも2割3分5厘しか打っていないのに……。
松井 エッ、そんなに打っているんですか。追い込まれると、もうほとんど考えていません。だって、打つしかないでしょう。待つ野球、読む野球というのが根本的に僕には合ってないんじゃないでしょうか。

――逆にいえば、反射神経と運動神経だけで野球をやって、これだけの結果が残せるというのは凄い。それも才能ですね。
松井 配球とかを考えると、もうダメですね。ヒットを打っても真っ直ぐ以外はどんな球だったか覚えていない時もある。ただ来た球を打つだけですから。

 これまで7人の日本人メジャーリーガーが誕生しているが、全員がピッチャーである。野手はひとりも誕生していない。いずれイチロー、松井秀喜クラスの選手が乗り込めば、そう遠くない将来、この壁は打ち破られるはずである。

 内外野の両アウトサイド、すなわちファースト、サード、レフト、ライトは日本人が守ってもトラブルが発生するとは思えない。セカンドとセンターも日本でトップクラスの選手なら克服できるだろう。
 となると、最難関のポジションはショートとキャッチャーだ。足、肩を含めた身体能力は言うに及ばず、コンタクトプレーにもびくともしない強靭な肉体、そしてフルシーズン働けるタフネスと、アスリートに必要な能力の全てがこの2つのポジションには求められる。

 チョモランマの登頂に成功しても、どのルートかで評価が分かれるように、仮に松井稼頭央にメジャー挑戦のチャンスが訪れた場合、ぜひショート・ストップとして勝負して欲しいと考えるのは私だけか。未完の22歳。余白のキャンバスにこの先、彼はどんな理想を描くつもりなのだろう。

<この原稿は『Number』(文藝春秋)1998年4月23日号に掲載されたものです>