PL学園の後輩であるヤクルト・宮本慎也が今季限りの引退を表明しました。彼と現役で重なったのは1年だけ。当時は守備と小技がうまい印象でしたが、打撃コーチとして99年にカープに戻ったときには右打ちの技術を高め、バッティングも素晴らしくなっていました。

 印象に残っているのは2000年最後のカープ戦。宮本は自身初の3割がかかった試合で、意表を突いたセーフティバントを決めました。そのくらい是が非でも3割に打率を乗せたかったのでしょう。

 この年から3度の3割以上を記録し、昨年には通算2000安打を達成。まさに攻守に渡ってチームに欠かせない選手でした。

 まだやれると思われるファンも多いかもしれませんが、引き際は本人が決めること。ベテランとなると、なかなか周囲が「辞めろ」とは言いにくいものです。

 それにチームは現状、最下位。優勝争いでもしていれば、まだまだ働き場所があったでしょうが、負けが込むとチーム方針として若手への切り替えも考えなくてはなりません。そういった事情も踏まえて、宮本自身が決断したのでしょう。

 僕は35歳で引退しました。代打一本であれば、正直、まだ現役を続けられたかもしれません。ただ、30歳を過ぎて足のケガが増え、引退前年にも神宮球場で一塁を駆け抜けた際に肉離れをしてしまいました。

 下半身を故障すると、バッティングでも粘りがなくなり、どうしても悪影響が出てきます。「選手として走れなくなったら終わり」との考えもありましたし、気持ちの上でも「もう1回、頑張ろう」という粘りがなくなってしまいました。心が折れてしまうと、もうプロとしては限界です。

 今、思えば淡白だったと反省していますが、金本知憲、浅井樹といった若手も台頭しており、遅かれ早かれ、1軍での居場所はなくなっていたでしょう。最後は松田耕平オーナー、公私ともにお世話になった当時の三村敏之監督の計らいで引退試合も設けてもらい、本当に感謝しています。

 宮本に話を戻せば、引退後は退団して、外から野球を勉強するそうです。ただ、このところはコーチ兼任で若手の指導もしており、松山での秋季キャンプでは野球談義に花を咲かせたこともあります。

 個人的には十分、小川淳司監督の後を継いで監督ができる人物とみています。いきなり1軍でなくても2軍監督から始める方法もあります。国際大会の経験を踏まえて、報道されているようにWBCの代表を率いることも可能でしょう。いずれにしても、今後は指導者として日本のプロ野球を引っ張って欲しいと期待しています。

 さて、我らがガイナーズは9月を迎えても借金を抱え、厳しい戦いです。ただ、今月末には後期優勝チームとのチャンピオンシップが待っています。万全の体制で決戦を迎えられるよう、チーム状態を上げていくのが、監督としての重要な仕事です。

 何度もリーグチャンピオンシップに出場し、短期決戦の経験が豊富なところは我々の強みと言えます。そのためにも、せめて勝率5割に戻し、投打のバランスを良くして戦いに臨みたいです。

 後期に入ってガイナーズはミスも目立ちました。チャンピオンシップでは、いいゲームをお見せすることをお約束します。引き続き、応援よろしくお願いします。

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