勝者にはなれなかった。だが、遠藤保仁の意地を、十分に感じ取ることができた。
 2013年元日、天皇杯決勝。J2に降格した関西の名門ガンバ大阪は柏レイソルを相手に押し気味に試合を進めたものの、0-1で敗れ去った。ただ、G大阪イレブンは悔しさをにじませながらも、どこかすっきりしていたようにも見えた。

 持てる力を出し切れなかったリーグ戦の鬱憤を晴らすかのように、天皇杯のG大阪は強かった。あと一歩でタイトルを逃がしたものの、「俺たちは強いんだ」という誇りは取り戻せたのではあるまいか。勝った柏も強いが、負けたG大阪も強い。そんな印象を持った決勝戦だった。
 
 それにしても驚くのは遠藤の切り替えの早さである。
 G大阪は昨年12月1日、最終節のジュビロ磐田戦に敗れて、クラブ創設以来、初めてのJ2降格が決定した。リーグトップの67得点を挙げながら、課題であった守備の再建が図れず、最下位コンサドーレ札幌に次ぐ“準ワースト”の65失点を喫したことが痛かった。

 チームの大黒柱である遠藤も降格の責任を強く感じていた。移籍か残留かに注目が集まったものの、Jリーグアウォーズの席で「長年一緒にプレーした選手もたくさんいる。10年以上ここでプレーしてきているわけだし、一番はまずガンバのことを思いたい」といち早く残留の姿勢を打ち出していた。

 普通なら降格のショックを引きずってもおかしくはない。しかしながら、代表でも多くの修羅場を潜ってきた男だけにすぐに天皇杯へと気持ちを向けていた。気にしていたのは来年などではなく“今”。彼はアウォーズの囲み取材で、こう答えていた。

「今は天皇杯のことしか考えていないんです。(今後のことを考えるのは)それが終わってからでも十分に時間はあるし、今は全力で勝ちに行くことだけを考えている。優勝してACL(アジアチャンピオンズリーグ)の切符を取ることも目標ですから、これから天皇杯に向けていい準備をしていかなきゃいけない」

 その言葉に嘘はなかった。G大阪の強さを取り戻す、ACL出場権を得る、退任する松波正信監督に花を持たせる。遠藤の決意に、チームも奮起していった。センターバックの今野泰幸のボランチ起用など松波采配もズバリと当たったが、何よりも遠藤の躍動が目を引いた。

 少しでも方向を間違ってしまえば、チームがバラバラになる危険性もあった。天皇杯もチームの力を発揮できないまま終わっていたに違いない。だがJ2降格でも動じず、次の目標に切り替えてチームをそこに向かわせる力は、やはり遠藤のキャリアに拠るところが大きいと思う。“切り替え力”とでも言おうか。彼の凄さの一端を見た気がした。

 ACLの出場権を逃がしたとはいえ、遠藤におそらく移籍する気などないだろう。2013年は残り3試合のブラジルW杯アジア地区最終予選、コンフェデレーションズ杯と代表スケジュールが過密になる一方で、J2を戦わなくてはならない。

 22チームによるJ2は各クラブが42試合を戦う。リーグ戦に限ればJ1(34試合)より8試合多い。代表のスケジュールと重なって所属クラブでの出場試合数が減少する部分もあるが、何よりも遠藤自身が過密日程をまったくと言っていいほど気にしていない。

「僕はJ2が別に過密日程とも思っていないし、そこに関してはまったく気にしてません。自分の場合、より実戦が多いほうがいいし、試合数が多いのはいいことだと思っていますから」

 当然、J1に比べると試合のレベルは下がるだろうし、G大阪相手には守りを固めてくるところがほとんどだろう。

 遠藤としては昨年10月の欧州遠征でフランス、ブラジルと対戦してきたことで2013年はより世界を意識して自己のレベルを上げる一年としなければならないと考えているはずだ。そのためには“格下”よりもJ1のライバルチームたちと戦って揉まれたほうが、自身のレベルを上げていくには好都合だろう。しかし、それがJ2だと難しくなってくるのかもしれない。欧州の舞台で揉まれているザックジャパンの面々は世界を意識して確実にレベルアップしてくる。環境の違いが成長の速度に影響を及ぼす怖れがあるということだ。

 しかし、天皇杯での遠藤を見ていると“いらない心配”のようにも思えてくる。
いかなる環境に置かれても、彼はテーマを見つけてレベルアップを図れるだけの力を持っている。だからこそ切り替えが早い。Jひと筋で、ジーコジャパンでは主力ではなかったが、コツコツと己を磨いて今の地位を築いたわけである。

 J2という環境も“新たな修行の場”と捉えているのかもしれない。2013年、試練に立ち向かう遠藤に注目していきたい。

(今回は特別編成のため、4日更新とさせていただきました)
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