「カッキー、俺の(引退試合の)興行で、試合に出てくれないかな?」
  UWF時代の先輩である安生さんから直々に頼まれたのは、昨年冬のことだった。

 僕は病気が発覚する前ではあったもののプロレスを引退した身である。簡単に試合に出るわけにはいかなかった。何より、カラダを絞り、レスラー体型でなかったのも断ろうとした理由のひとつだった。

「そこを何とか頼むよ」
 お酒が入っていると思われる安生さんの口調は強くなった。話をしているうち、やはりご恩に報いなければという気持ちが芽生えてきた。

「ミヤマ☆仮面でもいいなら少し考えてみようかな……」
 プロレス界の上下関係は、やはり絶対なのである。同じく安生さんの後輩である山本喧一選手(通称ヤマケン)などは、引退して間もない身であったものの、安生さんの呼びかけに応え、すぐにカムバックを決意した。

 彼はUインター時代、安生さんらと『ゴールデンカップス』というユニットを組んでいた。チームのボスである安生さんから「俺の引退試合で、最後にもう一度組もう」と誘われたら、さすがにNOとは言えなかったのだろう。しかし、いくら心臓に毛が生えているようなヤマケンでも、まだ引退を表明した舌の根も乾かぬうちにリング復帰するのは正直、気が引けたに違いない。

 ハッスルなどを見ていた方からすると意外に思われるが、安生さんは新生UWFの頃から、あまり前へ出るようなタイプではなかった。実力的にはトップ選手と遜色はなかったのだが、自己主張が希薄であった。

 打撃技、投げ技、寝技とバランスに優れた万能選手の安生さんは、あの船木誠勝選手から「立ち技で一番のレスラー」と評されていたこともある。かつて東京ドームの大舞台で、ムエタイの強豪チャンプア・ゲッソンリット選手と壮絶な異種格闘技戦を繰り広げたのは、いまや伝説となっている。

 安生さんの蹴りは、本職が唸るほどの実力であったのだ。無駄のない美しいフォームのキックを見ているだけで、威力が手に取るようにわかる。

 安生さんは立ち技だけでなく、グラウンド技術も素晴らしかった。若手の頃から『関節技の鬼』藤原喜明選手より手ほどきを受けており、そのテクニックは一級品だ。

「カッキー、関節技は押さえ込みが命だ」
 これは安生さんの口癖であった。相手を押さえ込む時のポイントは、肩をマットから浮かすこと。このアドバイスは、かなり有効であった。

「釣りなんかと同じで、バタバタと相手を泳がせて疲れてから、関節技に入ればいいんだよ。すぐに極めよう極めようと相手の関節を狙うのは間違い」
 安生さんは、釣りに例えて、押さえ込みの極意を説いてくれた。

 新弟子時代、安生さんとスパーリングをすると押さえ込まれるのが、本当にイヤだった。ピッタリと隙間なく押さえ込むので、まったく息が出来なくなるのだ。イメージ的には海で溺れているような状態となる。

「このままでは死んでしまう」
 どの新弟子も安生さんとスパーリングすると恐怖に襲われ、必死に逃げたものだった。

 安生さんは「Uのポリスマン」や「用心棒」と囁かれるほどの実力を持ちながらも表舞台に立つことは、ほとんどなかった。Uインターの頃などは、完全に裏方に徹していた感もある。しかし、ある大事件をきっかけに注目を浴びることとなった。

 あのヒクソン・グレイシーへの道場破りだ。ご存知の通り、返り討ちに合い、顔面が崩壊するほどの壮絶な写真が紙面を騒がせた。

「まさか……あの安生さんが負けるなんて」
 安生さんの実力を知っている僕たちは大きく動揺したのを昨日のように覚えている。

 しかし、安生さんがたくましいのは、この大敗を開き直り、『ミスター200%』として、お笑い路線に転身したことである。「ヒクソンには200%勝てる」とファンの前で堂々と公表していたのを逆手にとり、これを売り文句にやりたい放題やり始めたのだった。

 当時、若手だった高山善廣選手やヤマケンを引き連れ、ゴールデンカップスという異色ユニットをUWFのリングでつくってしまったのだ。シリアスな戦場であるUのリングに、お笑いスタイルなど本来受け入れられないはずだが、新日本プロレスとの対抗戦に出場したことも追い風となり、大ブレイクしたのである。

 ゴールデンカップスのファンクラブの数は、団体のエースである高田延彦選手を上回る勢いであった。当時、僕も安生さんのユニットに入りたいと真剣に思っていた。

 あの高田さんも「やりたい」と言ったのを飲んでいる席で聞いたことがある。後にハッスルで高田総統をやったことを考えると案外、本気だったのかもしれない。ゴールデンカップスは、これほどまでに影響力のあったユニットだったのだ。

 それにしてもレスラー人生最大のピンチをチャンスに見事に変えた安生さんこそ本物のレスラーである。安生さんからは、技術だけでなく、生き様も勉強させてもらった。いま僕は、がんという最大のピンチに立たされているが、安生さんに習って、このピンチをチャンスに変えなければいけないと思っている。

 3月19日、後楽園ホールで開催された安生さんの引退興行のタイトルは『Y.A is DEAD』。闘病中の僕にとって、あまり縁起の良いネーミングではなく、近づけなかったが、安生さんの第2の人生のスタートを心から祝福したい。

 安生さん、長い間、お疲れ様でした。

(このコーナーは第4金曜日に更新します)
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