「これぞ世界のスーパースターだ」
 久しぶりに生のハルク・ホーガンを見て、僕は鳥肌が立った。今月11日、WWEの日本公演に登場し、家族で観戦に行ったのだが、そのカリスマ性に改めて感服した。
(写真:鍛え上げられた肉体はまったく60歳には見えない)

 還暦を迎えた年齢では、さすがに試合までは行なわないが、トークとパフォーマンスだけで、十分にお客さんは満足であった。それにしてもハリのある筋肉を目にするととても高齢者とは思えない。まさに超人ハルクだ! カッコイイ!!

 得意のマイクパフォーマンスでは、「20年ぶりに戻ってきた」と発言したように聞こえたが、僕が英語を聞き間違えただけだろう。ホーガンは、2003年に新日本プロレスの東京ドーム大会で、蝶野正洋選手と試合を行なっている。

 11年前のこの試合を今でも鮮明に覚えているのは、ある“事件”が起きたからだ。当時、新日本プロレス所属だった僕は、ホーガンをできる限り近くで見ようと蝶野選手のセコンドについて試合を見ていた。

 同じくセコンドには、安沢明也というまだデビューしたばかりの若手選手もいた。この彼は、体は小さいのだが、負けん気の強さではずば抜けていた。先輩の言うことは、すべてイエスのプロレス村で、彼は自分が間違っていないと思うことは一歩も引き下がらないのだ。

 自分の新弟子時代を振り返ると、とても出来る芸当ではない。当然ながら、先輩レスラーからは生意気だと思われ、厳しい制裁を受けていたようだった。

 リング上でもファンに媚など売らず、自ら掲げた「喧嘩プロレス」を表現していた彼は、こともあろうに世界のスーパースターにも喧嘩を売ったのである。正確には、売られた喧嘩を買いそうになったのだが、デビューしてわずか1カ月の若手ができることではない。相手は、天下のハルク・ホーガンなのである。並みの若手なら刃向かおうなんて考えもつかないだろう。

 ことの発端は、ホーガンが腰に巻いていたベルト(コスチュームにファッションとして装着していた)が、試合途中に外れてしまった。そのベルトを彼が拾い、持っていた。試合中もずっと彼が手にしていたベルトを僕はそばに行き、羨ましそうに眺めていた。

 試合を終えたホーガンは、リングを下りたところで、自分のベルトを手にしていた、この若手レスラーに目が留まった。「自分のだぞ」と怒りをアピールし、ベルトを奪い返そうとしたホーガンに対し、なんと安沢君は喧嘩を売られたと思いこんでしまったのだ。

「当時は怖いもの知らずと言いますか血の気も多く、先輩から理不尽なことを言われたら言い返して殴られていたバカだったので、この時も喧嘩を売られたととんでもない勘違いをして、ガンを飛ばしてしまいました」

 この現場を一部始終見ていた僕は、彼のガン飛ばしに驚きすぎて身動きが取れなくなった。おそらくほんの数秒だったと思うが、ドーム中が意外な展開を固唾を呑んで見守っていた。

「もしかして、この若いの、何かしでかすかも」
 一触即発の雰囲気がドームを包み込んでいた。しかし、何も起こることはなく、ホーガンは花道へと消えていった。

 だが、あの世界のスーパースターの視界に一瞬でも入ったのは羨ましすぎる出来事である。もし、あの時、同じセコンドについていた僕がベルトを拾っていればと想像するたびに悔しい思いに駆られる。まさに「チャンスの女神には後ろ髪はない」と言われるのを実感した瞬間だった。

 ホーガンのベルトはミーハーな僕にとっては、お宝に映ったのだが、彼にとってはそこまでの魅力はなかったようだった。
「ホーガンより道場でコーチしてくださっていた木戸(修)さんの方が、僕にとって貴重な存在だったのです」
 11年ぶりに当時を回想してくれた彼は、こうコメントした。

「もちろんホーガンが偉大なレスラーだということは知っていましたが、僕はハルカマニアではありませんから」

 ホーガンの熱烈ファンをハルカマニアと呼ぶ。安倍晋三総理大臣もテレビで見たという蔵前国技館での伝説のアントニオ猪木戦やアンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで叩きつけた名シーンは、世界を震撼させた。日本だけでなく世界中のプロレスファンが認めるレジェンドレスラーなのだ。
(写真:今回、久々の来日にハルカマニアのボルテージは上がりっ放しだった)

 そんなトップ中のトップのホーガンより「木戸さんが上」と言い切るところが、ある意味で安沢君らしい。彼は練習生の頃から我が道を往くタイプで、そこが独特のキャラを生み出していた。

 ホーガンと睨み合った伝説の安沢君は、現在、マット界を去り、相変わらず我が道を歩んでいる。

(このコーナーは毎月第4金曜日に更新します)
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