「やっぱり、あの輪に自分は加わらない方が良かった」
 元リングスの山本宜久選手が、ボソッと僕の耳元で呟いた。先月30日、横浜文化体育館で、パンクラスの大会が行われた時のことである。

 パンクラスは、この大会を最後にリングからケージへと移行する。U系の流れを汲む最後の団体であるパンクラスが、リングを使用しなくなるのは、なんとも寂しい限りだ。世界最大のMMA団体であるUFCに合わせないと日本の総合格闘技界もガラケーのように取り残されてしまうのだから仕方がない。

 リング使用が最後となるこの日、かつてパンクラスの若きエースとして君臨していた近藤有己選手と元リングスの成瀬昌由選手との一戦がマッチメークされた。実はその昔、同じU系から生まれた両団体は、犬猿の仲だった。

 そののため、この両者が対戦することなど当時なら考えられなかったのである。パンクラスvs.リングスは、格闘技ファンがもっとも見たかった対抗戦のひとつだったのかもしれない。

 正直、旬の時に見たかったのが本音だが、だからと言って、このカードが懐メロ的で陳腐かというとそうではない。近藤選手は、直近の試合でKO勝ちをおさめ、息を吹き返している。対する成瀬選手も昨年11月、7年ぶりの復活を遂げ、健在ぶりをアピールした。

「これが最後になる」
 悲壮感にも似た彼の覚悟は良い形で試合に表れ、この日、もっとも大きな拍手を送られる素晴らしいファイトを見せることに成功した。残念ながら結果は判定で敗れたものの、その闘いぶりは大きな評価を得たのだった。

 成瀬選手が若い頃の熱い気持ちを取り戻し、頑張れたのは心強い相棒のおかげかもしれない。この日もセコンドには、リングス時代の同期である山本選手の姿があった。その絆の深さは試合を見ていればよくわかるが、まるで夫婦のようでもある。
(写真:試合直後にもかかわらず、成瀬選手(左)と山本選手は冗談を飛ばし合うほどの関係だ)

 山本選手は、リングスに入る前、UWFに在籍していた時代があった。かれこれ24年も前の話だ。4期生としてUWFへ入門した彼とは、一緒に寮生活をしていた仲でもある。

 つまり僕の直接の後輩にあたるわけだ。僕は彼に「ジョージ」という愛称をつけ、同部屋ということもあり、仲良くしていた。

 しかし、実際に一緒に過ごした期間はそう長くはなかった。大怪我が原因で入院した彼は、一度は戻ってきたものの、またすぐにいなくなってしまったのだ。

 いわゆる夜逃げである。これは彼の名誉のために声を大にして言いたいのだが、当時のUWFは新人をしっかりと育成する環境ではなかった。血気盛んな20歳そこそこの先輩レスラーが、入門してきた練習生を肉体的にも精神的にも追い詰めていくという何とも酷い時代だったのである。

 根性がないから夜逃げしたのではないことは、後に入門したリングスで見事証明している。あのUWFの象徴であった前田日明選手との数々の激闘が、それを何よりも物語っていると言えるだろう。

 それだけではない。あのヒクソン・グレイシー選手とも対戦しているのだ。対戦できただけでも凄いが、伝説の格闘家をあと一歩まで追い詰めたのだから、これは胸を張っていい勲章である。

 以前観たヒクソンに密着したビデオには、山本選手にフロントチョークで苦しめられた舞台裏の様子が映像で収められていた。
「あれ(ネックロック)が入った瞬間、(勝ったと思い)お金の計算をしちゃいました」

 冗談交じりに当時を回想してくれた山本選手だが、手ごたえがあったのは間違いないであろう。どの対戦選手もヒクソンワールドに引き込まれ、あっけなく惨敗していく中で、彼はヒクソンペースにのまれることなく闘えた。

 それは良い意味でのトンパチだったからだと思う。トンパチというのは業界用語で、常識を逸脱している選手を指す言葉だ。トンパチといえば、すぐに思い浮かぶプロレスラーは橋本真也選手だ。マット界で名を馳せるには、規格外なトンパチな方が良い。

 その点、まるで合わせ鏡のようにヒクソン選手と同じ構えをして闘った山本選手は嫌な相手だったに違いない。コスチュームまで同じ白で統一した徹底ぶりには、さしものヒクソンもやりにくかっただろう。普通とは違う何かを周りを気にせず実行できるのが彼の最大の魅力かもしれない。
 
 冒頭の発言も大人気なくて、かえって新鮮だった。成瀬選手vs.近藤選手の試合後、鈴木みのる選手や高橋義生選手、高坂剛選手などパンクラスOBや元リングスの懐かしい顔ぶれが集まり、1枚の写真に納まった。普通なら、このハッピーエンドに異を唱える者などいないはずである。

 しかし、彼にとって「パンクラスvs.リングス」の戦いは、たとえリング使用が最後であっても終わらないという。
「(パンクラスの)船木(誠勝)選手とやるまでは終われないですよ」

 ここまで彼が執念を燃やしている理由を僕は知っている。今から14年前、UWF道場で、それは起こった。船木選手が当時、練習生だった彼の頬を張ったのだ。それでなんと山本選手のアゴが折れてしまい、流動食生活を余儀なくされてしまったのである。

 凄惨な現場を目撃した僕としては、彼に同情するところが大いにある。
「あの時のつらさをバネにここまで頑張ってきたのです」
 彼の原動力が、一発の張り手にあったことを僕はこの日知った。

 波乱万丈の格闘技人生を歩む山本選手だが、44歳を迎えても現役を続け、頑張っている。何年も負けが続いていようが、気持ちが折れることはない。船木戦は、恨みを晴らすといったドロドロしたものではなく、ひとつのケジメとして闘いたいのだという。

 かつてのUWFファンなら大喜びする絶好のカードをこのまま葬り去るのはもったいない。
「じゃあ、俺がプロモートしちゃおうかな」

 UWF設立から30年を迎えた今年だからこそ、こんな試合も見てみたいと思う。2人の因縁がスタートした現場に立ち会った者として、このカードを成就させ、試合後に二人がシェイクハンドしている絵をぜひつくりたい。

(このコーナーは毎月第4金曜日に更新します)
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