アスリートは大きく二つのタイプに分けられる。一つは自らが思い描くパフォーマンスができなくなったと判断した時点で潔く身を引くタイプ。そして、もう一つがボロボロになりながらも、自らの限界に挑戦しようとするタイプ。


どちらが正しくて、どちらが間違っているわけでもない。これはもう生き方の問題である。

2012年12月に現役生活にピリオドを打ち、解説者やタレントとして活動していたサッカー元日本代表“ゴン”こと中山雅史が約3年ぶりの現役復帰を視野に入れ、動き出した。

この9月23日で48歳になる中山を迎え入れたのはJFLのアスルクラロ沼津。早速、練習に参加した中山は「ごまかしがきかない。(7月の)エキシビジョンやってるから、という甘い考えはなかったけど。一つ一つのプレーをやった時の動作に対する気付きとか、非常に重要だと感じた。まだまだ足りないものも分かった」と答えた。

中山に声をかけたのはジュビロ磐田時代のコーチ、監督で同クラブ会長の山本昌邦。中山が「恩師」と仰ぐ人物である。

「FWにとって何が大切かを突きつめて考えるようになったきっかけは1997年に山本さんの指導を受けるようになってからですよ」

そう前置きして、中山は続けたものだ。
「山本さんはものすごくデータを大切にする。もっと具体的にいうとペナルティエリア内での決定率。どれだけ落ち着けるか、どれだけ意図したところに蹴れるかということに徹底的にこだわる。それがFWの仕事だと」

山本が中山に課したトレーニングは、どれも科学的で合理的なものだった。
「フィールドの中での体の向き、開き方、ターンの技術、ボールをもらう位置、体勢、タイミング……。これらを意識するようになってから、考えながら点を取りに行けるようになったんです」

約3年ものブランクを埋めるにあたり、ハードルとなるのは技術よりも満身創痍の肉体だろう。古傷の両ヒザの痛みは、いつ再発してもおかしくない。

その点を問われた中山は「(両ヒザの状態は)見てのとおり。僕自身も甘いものではないと思っている。少しずつでもその甘さを排除していけたらいい」と語っていた。

決して天才肌ではない。華麗なテクニックがあるわけでもなければ、体のサイズや身体能力に恵まれているわけでもない。

それでも中山が、この国を代表するFWとして揺るぎない地位を築き上げることができたのは、彼の「狂気」に依るものだったと私は考えている。

いつだったか、手術について話していた時だ。中山が「全身麻酔が楽しくて仕方ない」と真顔で言うものだから、こちらは驚いてしまった。
「麻酔が点滴の管から入ってくるでしょう。1、2、3……と数えていって13、14、15……くらいで意識がボヤけてくる。僕はいつも自分に挑戦するんです。今日は何秒持つだろうって……」

老兵の最後の挑戦を、しかと見届けたい。

<この原稿は『サンデー毎日』2015年9月27・10月4日合併号に掲載されたものです>


◎バックナンバーはこちらから