何でも食べ、何でも呑むトルシエが「それは食べない」と言ったものがある。
 仙台牛である。

 「仙台と聞いただけで、悔しさが蘇ってくるからね」
 苦笑しつつ、彼は真剣だった。

「もしあの試合が仙台でなかったら、陸上トラックのついた競技場ではなく、専用競技場での試合だったら、違った結果になっていたと思うからね。あのスタジアムは、観客の熱をまったく選手に伝えてくれなかった」

 確かに、彼にとって日本代表での最後の試合となった02年W杯のトルコ戦は、W杯の決勝トーナメントとは思えないほどに淡泊な試合だった。トルシエはこうも付け加えた。

「わたしたちは1次リーグを1位で勝ち抜けたがために、仙台で戦うことになった。でも、もし2位だったら、どこで、どこと戦うことになっていたか、知っているかい?」

 わたしは知らなかった。
「神戸で、ブラジルと、だった。あの会場で、その相手だったら、日本の選手は闘志を燃え上がらせていただろう。ファンの熱狂も直接伝わった。番狂わせを起こす可能性は十分にあったよ」

 ラグビーの日本代表が南アフリカを倒した。サッカーはもちろんのこと、すべての競技と比べてみても、空前にして絶後の快挙だった。日本人が歓喜に沸く勝利ならばいくつもあったが、世界を驚愕させた勝利となると、思いあたる試合がわたしにはない。とかく日本のメディアは「世界を驚かせた」といった表現を使いたがるが、これは本当に、世界が興奮し、熱狂した一戦だった。

 なぜあの革命的な一戦は起こり得たのか。監督の手腕もある。トップリーグのレベル向上もある。だが、なぜかどこのメディアも一向に触れず、しかし個人的に絶対に見過ごすことができないのは、あのスタジアム、である。

 映像や写真をご覧になった方ならおわかりいただけるだろう。試合終盤、観客は完全に日本びいきになっていた。総立ちになり、日本の選手たちを後押ししていた。トライの瞬間は、狂喜乱舞するスタンドの様子がはっきりと映し出されていた。

 もしあれが陸上トラックのあるスタジアムだったら、日本の選手は観客の声援にあれほどまでに奮い立つことができただろうか。我々は最後のトライを、あんなにも劇的なものとして感じることができただろうか。

 4年後、ラグビーW杯が日本で行われることは、みなさんもご存じだろう。では、そのW杯が、史上もっとも多くの陸上競技場で行われるという事実は、ご存じだろうか。

 サッカーを愛する者、今回のラグビーに感動した人は、いまこそ声をあげるべきではないか。

 日本にも、もっと専用競技場を!

 声をあげてもお上に通じるとは限らないことが、今年の夏は明らかになった。けれども、声をあげなければ、何も変わらない。トルシエの後悔は、もう誰にも味わわせたくない。

<この原稿は15年9月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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