17日、来月2日の開幕を控えた「ターキッシュエアラインズ bjリーグ2015−2016」のプレスカンファレンスが都内で行われた。05年開幕から11年目を迎えるbjリーグだが、NBLと統合し、来年秋からは「B.LEAGUE」としてスタートするため、今シーズンがラストイヤーとなる。新規参入の金沢武士団(石川)、広島ライトニングを含む全24チームがイースタンカンファレンス、ウエスタンカンファレンスに分かれ、全624試合を行う。各カンファレンスの上位8チームまでがプレイオフに進み、最後の王座獲得を目指す。bjリーグの河内敏光コミッショナーは「ハイレベルでエキサイティングな試合を各地で繰り広げていきたい」と抱負を述べた。プレスカンファレンスでは、海外遠征中で欠席の富山グラウジーズを除いた23チームの代表選手が出席し、ラストシーズンに向けての意気込みなどを語った。
(写真:河内コミッショナーは「1チーム1試合平均1800〜2000人の観客動員」を目標に掲げる)


 2005年11月5日――。今から約10年前、bJリーグは日本初のプロバスケットボールリーグとして開幕した。当初は6しかなかったチーム数は、現在24まで拡張。地域密着を掲げたbjリーグは、10年で47都道府県の半数以上にあたる24都府県にチームが生まれた。リーグ立ち上げから関わってきた河内コミッショナーは“生みの親”と言っていい。河内コミッショナーは「理念が間違っていなかったと、再確認できた」と“我が子”の成長を喜んだ。

 10年前に東京・有明コロシアムで行われた開幕戦を、東京アパッチのプレーヤーとしてコートに立った仲西淳(現ライジング福岡)は、その時のことを今でも鮮明に覚えているという。新潟アルビレックスBBとの一戦には初のプロリーグとしての注目度もあり、3700人を超える観客が集まった。

 仲西は東京の中学を卒業後に渡米した逆輸入プレーヤーである。高校と大学の7年間は米国で過ごした。目指していたのはNBAだった。だが大学卒業を前にして、bjリーグをスタートさせようとしていた河内コミッショナーから声が掛かった。当然、葛藤もあったが、仲西は日本バスケットボール界のため、帰国を決断した。05年、彼の地元である東京に本拠を置く東京アパッチにドラフト1巡目指名された。以降、仲西はbjリーグ初年度からリーグを引っ張ってきた。

 NBAという夢を諦め、日本に帰ってきた選択に後悔はなかったのか。 
「間違っていなかったと思います。いろいろなチームで悔しい負け、挫折も経験しながら、選手としてもひとりの人間としてすごく成長させてもらったのがbjリーグです。いつも周りにいる方々のおかげでここまで来れたと思う。自分がプロの世界に入って、やってきたことは財産になっています」

 仲西が「日本バスケットボールの新しい1ページが開かれた」と語る開幕戦から10年の年月が経った。「そこからはあっという間だった」と東京から福岡、その後は大阪エヴェッサ、岩手ビッグブルズと彼は多くの移籍を経験した。プレイオフには10年で7度も経験した。しかし、1度もその頂点には立てていない。プロ生活の半分以上を過ごした福岡は、人生の伴侶も手に入れた特別な地である。今シーズンはチームとともに初のタイトル獲得を目指している。

 05年の開幕戦が人生の大きな岐路になった選手は他にもいる。当時、日本体育大学4年だった与那嶺翼(現石川)だ。与那嶺は東京対新潟の試合をテレビで観ていた。将来は地元の沖縄へ帰り、就職するつもりだった彼は、ともにプレーしたことのある選手がプロの舞台に立つ姿を見て、翻意する。
「あんなにスポットライトを浴びている選手たちの姿を見た時に“そこでプレーしたい”“自分の身体が動くうちにやっておかないと、絶対後悔する”と思った」

 与那嶺は翌年から大分ヒートデビルズにドラフト外で入団すると、その後は琉球ゴールデンキングス(沖縄)、岩手でプレーした。「僕としてはプロに入って、いろいろな方々と接することができ、バスケットボール以外でも人間として成長させていただいている。非常にいい選択をできたと思っています」と胸を張った。プロ10年目を迎える今シーズンは新規参入の石川で戦うという新たな挑戦を選んだ。

「企業スポーツのままでは存続できない」と危惧した河内コミッショナーらが始めたbjリーグ。河内コミッショナーは「今だから言えるけど、6チームでスタートした時はどうなるかという不安が6割ですよ。“10年を目処に24チームに持っていこう”とは言いましたが、10年続くかどうか、24チームになるかどうか。それは不安の方が全然大きかった」と胸の内を明かした。チームが毎年増えていく中、新規参入チームの開幕戦へ行くと、その街の人から「チームをつくってくれてありがとう」「よくつくってくれた」と握手を求められたこともあったという。河内コミッショナーは「それが一番、嬉しかったですね」と当時のことを思い出し、微笑んだ。チーム数を増やしたことで、受け皿が広がった。与那嶺のようにバスケットボールから離れかけたプレーヤーが今も続けていることもbjリーグの大きな功績と言えるだろう。

 来年の秋からはNBLと統合するかたちで誕生した新リーグ「B.LEAGUE」がスタートする。15日にはリーグ名称、ロゴが発表され、期待感は徐々に高まってきている。「バスケットボールのファンからしてみたら、2つあること自体が余計だった。知らない人からしてみたら、『何で2つあるの?』と思う。僕もよく聞かれました。それがひとつになったということは“新たなバスケットボールが始まるな”と感じています」と仲西。その一方で紡いできた時間にも誇りを持つ。「でもbjリーグの10年がなかったら、統合につながっていなかったと思う。だから自分たちがやってきたこと、bjリーグがやってきたことは意味があることだったのかなと改めて感じています」

 bjリーグが紡いできた歴史を「B.LEAGUE」に繋ぐ必要がある。河内コミッショナーは新リーグに、プロとしての責任感を期待する。
「もちろん勝った負けたも大切なことなんですが、負けるにしても、プロのチームには負け方がある。ただ1点勝ったで終わってしまうのでなく、観に来た人がお金を払って、本当に良かったと思える試合を魅せなければいけない。1点を争うだけでなく、対戦相手以外にも、会場に来てくれているお客さんに対しての目線を持って、選手やチームはプレーをすべきです。変なプレーはできない。たとえばルーズボールも頭から突っ込んでとりにいく。そういった姿勢を持っていれば、絶対、僕はいい方向にいくと思う」

 bjリーグとしてのラストシーズン。いわば1期生としてリーグとともに歩んできた仲西は「いろいろなドラマがあって、チームも増えてきて、応援してくれる人も増えてきた。リーグ全体として成長した10年間だと思う。今シーズンはその集大成。選手それぞれが背負い、ただの1年だけじゃなくて今までの11年が詰まっていると思う。もちろん優勝を目指して競い合うんですけど、これまでの歴史をそれぞれが背負って、やっていってほしいなと思います」と語った。

 日本のバスケットボール界とともにbjリーグは生まれ変わる。11年で終わりを告げるのではなく、新たな始まりのための狼煙を上げる。そのための1年が、10月2日からスタートする。

(文・写真/杉浦泰介)