過日、秋田県北東部のまちで講演を行なった。東京から新幹線で盛岡まで行き、そこから車で1時間ちょっと。前日の夜に現地入りし、ひなびた温泉宿に宿泊した。
岩手から県境を越え、秋田に入ってしばらくたったあたりか。運転手さんが声を張り上げた。
「あっ、今のタヌキですよ」
「タヌキ?」
「はい、よく出るんですよ」
老眼の私は、はっきり視認できなかったが、道端でかすかに赤いランプが点滅したような気がした。
「タヌキの目って赤いんですか?」
「ええ、特に夜は赤く光るんです」
すっかり眠気から覚めた私は、続けて訊ねた。
「他にはどんな動物が?」
「ウーン、シカはよく出ますね。たまにクマも」
「ク、クマですか?」
「えぇ、よく出ますよ。私も2、3度見かけたことがあります」
と、その時だ。道の脇に黒い影が。
「今の、もしかしてクマじゃないですか?」
「気のせいでしょう。そう簡単にはお目にかかれませんよ」
「いや、なんか動いた気がするんだよなぁ……」
そう口にした瞬間、またしても黒い影。ササッと動いてすぐに消えた。
「さては俊足のクマなのか……」
備忘録としてiPadにメモしておこう。小脇に抱えていたiPadを開こうとすると、またしても黒い影。
「ありゃ!」
情けないことにクマの正体は、車のガラスに映った黒革のケースに包まれた私のiPadだった。
(編集長N)
◎バックナンバーはこちらから