ハンドボールの本場、ドイツの国内リーグ・ブンデスリーグを舞台にプロ選手として8年目のシーズンを迎える植松伸之介。05年は世界最高峰といわれるブンデスリーグ1部でプレー。リーグ2部のEHVアウェに移籍し初年度の06−07年シーズンを終え、故郷・日本でつかの間のオフを過ごした。
(写真:高校生を相手に、本場ドイツ仕込みの練習や技を伝授する植松選手)
 6月24日には、昨年に続き、学芸大学付属高校のグラウンドで、同高と両国高校のハンドボール部の生徒を対象とした講習会を行った。この日のテーマは「視野を広げる」。ただし「楽しくやること」が大前提だ。
「日本ではやらないようなユニークなウォーミングアップを取り入れたりして、楽しみながら、ハンドボールに必要な動きが身につくようなトレーニングを行った」と植松。意欲的に取り組む高校生たちと約2時間、グラウンドで汗を流し「みんな元気だし、一生懸命ハンドボールに取り組んでくれるから、教えるのも楽しかった」と笑顔を見せた。 
 学芸大学付属高校ハンドボール部の顧問の上原教諭は「やっぱり“本物”に触れるというのは、子供たちにとって大きい。去年も教えてもらいましたが、その後、練習にも意欲的に取り組むようになったのを感じます」と“植松効果”について語る。同高、両国高の教諭共に、「本物に触れることの大切さ」を強く感じている。
 この日、植松とともにコーチを務めた元大同特殊鋼の峯村敦氏は「刺激も受けるし、一緒に子どもたちを教えながらも、なるほど、と勉強になることがすごく多い。日本の練習は決まったことをやる感じだけど、向こう(ドイツ)は遊びながら展開していく。自分が子どもたちを指導するときにもマネさせてもらっています(笑)」と語った。

 EHVアウェに移籍して1年目は、膝の怪我の影響で思うようなプレーができず、悔しいシーズンだったと植松は振り返る。
「暮れに膝の手術を受けて、そこから焦って練習を始めてしまったので、慢性的に炎症が出てしまった。新しいチームで、結果を出さなきゃと思っていたけど、シーズン前からの怪我の影響で自分の力が出せなかった」
 EHVアウェについては「監督も以前から知っている人で、やりやすい。若い選手が多くて、爆発力があるチーム」と語る。
 本場ヨーロッパでプレーする日本人ハンドボールプレーヤーとしてパイオニア的な存在だが「そういう意識はない。マイぺースにやっています」と本人は自然体だ。

(写真:講習会でともにコーチを務めたハンドボール元実業団選手の峯村夫妻と)
 国内に目を移すと、男子ハンドボール日本代表は、1988年ソウル五輪以来5大会ぶりの五輪出場を目指している。今年9月に愛知県豊田市で開催される五輪アジア予選が勝負の舞台となる。
 過去には代表合宿に招集された経験を持つ植松にとっても、代表チームの動向は気になるところだろう。
「今回のアジア予選は日本で開催されますし、ハンドボールファンでなくてもぜひ会場に足を運んで応援してほしいですね。僕達選手は会場からの声援が心の励ましや強さになるし、それがプレーを後押ししてくれる。ドイツでの試合でも会場の声援に支えられることはよくあります。アジア予選を是非突破して、皆の願いである五輪出場を果たして欲しい。日本のハンドボール界にも良い影響があると思います」

 最後に、今シーズンに向けての自身の意気込みを訊いた。
「1年目はアウェのファンや応援してくれる人たちの期待に応えられなかったのが悔しい。まずは膝を完全に治して、去年の分も取り返すつもりで頑張りたいですね」
“ブンデスのサムライ”はこう語る。9月には、アウェ2年目、そして単身でドイツに渡ってから、8度目となるシーズンが始まる。


植松伸之介(うえまつ・しんのすけ)プロフィール
1975年8月20日、神奈川県出身。横浜商工高校卒業後、94年順天堂大学に入学。98年、日本リーグからの誘いはなく、私立若葉台第一幼稚園に入社。神奈川県教員クラブチームに所属しハンドボールを続ける。98年神奈川県国体、99年大阪国体に神奈川県チームのメンバーとして出場。2000年6月、単身ドイツへ。ブンデスリーグ2部だったコンコルディア・デーリッチのセカンドチームに入団。翌01年シーズン途中よりファーストチームに昇格、プロ選手として契約する。04−05年シーズンにはチームの1部リーグ昇格に貢献。06−07年ブンデスリーグ2部EHV(アウェ)に移籍。ポジションは左サイド。181センチ、82キロ。
※植松選手のブログ>>こちら