14年ぶりのリーグ優勝を果たした東京ヤクルトの犠打数104はリーグ最少だった。そのシンボルが打率3割3分6厘で、自身初の首位打者に輝いた川端慎吾である。

 小技が求められる2番ながら、犠打はわずかに2つ。真中満監督は川端2番起用の理由を後輩の石井一久との対談で、こう明かしている。<結局、うちの投手力を考えた時に初回に1点を取っても勝てないじゃない? 川端が2番じゃなければ、おそらく送りバント。となると、初回1点。でも終盤に追いつかれたら一緒だから。だったら3点、4点取りに行こうというスタイルのためには、2番に足がある左バッターがいいという考え方>(本紙10月3日付)

 2番に強打者、好打者を起用する策は昔からある。1956年から58年にかけて西鉄ライオンズは3連覇を達成するが、知将・三原脩が主に2番を任せたのは首位打者(56年)にも輝いた豊田泰光である。3番・中西太、4番・大下弘と続く打線は、流れをともなって太くなることから、「流線型」と評された。

 三原が著した『三原メモ』(新潮社)の中に、次のような一文がある。<バッティング・オーダーは、各打者が各個に、好打率をあげるように仕組まれるものをもって最上とはしない。むしろ、全体的な安打数はすくなくても、得点能力の大であることが望ましい事なのである>。2番・豊田はこのコンセプトを具現化したものであった。

 いや、それだけではない。「理の人」である三原は「夢の人」でもあった。そのことを教えてくれたのが西鉄時代、三原のマネジャーを務めていた藤本哲男である。三原は2人きりになると藤本に「僕は福岡の地で大リーグに匹敵するチームをつくるんだ」と語りかけたという。

 藤本の説明はこうだ。「仮に大リーグのチームを相手にした場合、2番打者がバントでランナーを進めて先制しても、すぐに引っくり返されてしまう。ある程度、まとめて点を取らないことには勝てない。そういう考えに基づいての豊田の2番起用だったんじゃないでしょうか…」

 三原が生きていたら、今季、真中が組んだ打線にお墨付きを与えるのではないか。「新流線型打線」の破壊力も、なかなかのものである。

<この原稿は15年10月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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