JOCは2020年東京五輪での目標を「世界3位」に置いている。

 それを後押しするのが遠藤利明五輪担当相だ。

「私は(金メダルを)30個取れと厳命している。取れなかったらクビになる人が出ると思っているが、そのくらいの気持ちがないと(ダメだ)」

 

 3年前のロンドン五輪で、日本は金7個、銀14個、銅17個と計38個のメダルを獲得した。これは11年前のアテネ五輪の37個を上回り、史上最多だった。

 

 さらに言えばメダル獲得競技数13という数字も、これまた最多。バドミントンと卓球の選手たちは五輪史上初めて表彰台に上がり、またボクシングは48年ぶりに金メダリストを生んだ。

 

 この数字を見れば、ロンドンは大成功だったと言えよう。

 

 ところが日本は「世界11位」に終わった。なぜなら順位を決めるにあたり、最優先されるのは金メダル数だからである。

 

 もっとも、これとて明確な規定があるわけではない。それが証拠に、五輪憲章には<オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない>とうたわれている。

 

 にもかかわらず、五輪が始まると、メディアは金メダルの獲得個数順に国・地域を並べる。極端な話、銅100個よりも銀1個、銀100個よりも金1個の方を上位と見なすのだ。

 

 慣例と言えば慣例だが、これも変な話である。

 

 誰よりも五輪憲章を重んじなければならないIOCが、実際には<国家間の競争>を容認しているのだ。中国などは五輪を国威発揚の最大の場として利用している。

 

 それはともかくとして、「選択と集中」という名の下、強化にばかり力点を置き始めると、肝心の普及や育成が後回しになる恐れがある。

 

 たとえばサッカー。64年東京五輪前から集中的に選手を強化した結果、68年メキシコ五輪で銅メダルに輝いた。

 

 だがメキシコ世代が去ると同時に弱体化し、復活はJリーグの創設を待たなければならなかった。

 

 同じことは72年ミュンヘン五輪で金メダルを獲得した男子バレーにもあてはまる。

 

 つまり特定の競技への集中的な資金や人材の投下は、その副作用として長期に及ぶ低迷を招きかねない。

 

 継続は力なり、という言葉がある。Jリーグの生みの親として、日本サッカーを復活させた川淵三郎の座右の銘でもある。

 

<この原稿は2015年10月16日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

 


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