「鶴翼の陣」の知将 森保一

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<この原稿は2013年3月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 昨年、広島に行くたびに目にしたポスターがある。

 

<おしい! 広島県>

 

 地元出身のタレント有吉弘行がメインキャラクターを務めている。

 自虐的な地域振興プロモーションのように映るが、聞けば、これが妙に受けているらしい。

 

 レモンの生産量は日本一。カキやお好み焼きなど、おいしいものがたくさんありながら、いまいち浸透し切れていない。

 そこで「おしい」から「おいしい」へのコンセプトの下、もっと広島県を売り込もうとの戦略だ。

 

 「昨年12月、優勝報告のため、県知事を訪ねたんです。知事室に入ると、そのポスターがボンと貼ってあった。それを見て、ホッと胸を撫で降ろしました。“おしいじゃなく、おいしい広島で終われてよかった”って……」

 

 Jリーグがスタートして20年目の昨季、初の元日本人Jリーガー優勝監督が誕生した。サンフレッチェ広島の森保一である。ホームでの最終戦でセレッソ大阪に勝ち、追いすがるベガルタ仙台を振り切った。

 

 森保は前任のミハイロ・ペトロヴィッチ(現浦和監督)の攻撃サッカーを受け継ぎつつ、守備面では自らの考えを浸透させた。

 

 44歳の青年指揮官は、その過程をこう振り返る。

「10年、11年と新潟でコーチをしていました。外から広島を見た印象は、やはり攻撃は素晴らしいと。もし自分が、このチームの指揮を執るようになった場合、どうするか。自分の経験上、守備面からアプローチすべきだろうとの思いはありました」

 

 元日本代表プレーヤーの森保はオフトジャパン時代、ダーティーワークもいとわない献身的な守備的MFとして名を売った。

 

 攻撃は今のままでいい。問題は守備で具体的に森保は、どんなアプローチを行ったのか。

「相手ボールホルダーに対するウチのファースト・ディフェンダー。要は、相手ボールに対して、誰が最初に仕掛けるかということです。11人の内のひとり目がはっきりしていないと、あとの10人のポジショニングが決まらないんです」

 

 森保の狙いは成功した。ファースト・ディフェンダーの役割を明確かつ徹底させたことで、チーム全体の守備の意識は格段に高まった。それは、はっきりと数字にも表れた。

 

 前年の失点が49だったのに対し、昨年は34。これはJ1で2位だった。

 

 満足気な口調で森保はこう言った。

「ひとりひとりの守備に対する粘り強さ。それと互いの連携。これがうまくいった結果だと思います」

 

 優秀な指揮官の後を襲う者は大変だ。成功モデルを踏襲しながら、一方で自らの色も出さなければならない。

 何を守り、何を変えるか。この選択を間違えると、チームはぎくしゃくしかねない。森保が腐心したのも、この点だった。

 

「このチームの一番の良さは攻撃力。それをキープしつつ、自分が考えている守備のエッセンスを落としこんでいかなければならない。そのさじ加減に気を使った部分は確かにあります。

 しかし、僕が目指しているサッカーはシンプルなんです。早い話が効率よく守るということです。守備のアプローチがうまくいけば、ボールを奪ってからの守備から攻撃への移行がスムーズにいく。そうなれば無駄な体力ロスもなくなるから、後半にスタミナが残る。結果として後半残り15分の得点はJ1で2位の19でした」

 

 広島の基本陣形は3-4-3。ボールを奪ってからの攻めは早く、両ウィングはまるで鳥が翼を広げるように両サイドにせり出した。軍事でいう「鶴翼の陣」か。

 

 森保の解説。

「当然、相手は中央の守りを固めたいと思っている。ところがウチが両サイドを広く使った攻撃を仕掛けることで、相手も守備網を広げざるを得なくなる。必然的にスペースができるから、そこを突く。翼を広げるという表現はまさにウチのサッカーにぴったりだと思います」

 

 元日本人Jリーガー優勝監督の誕生を誰よりも喜んだのが、Jリーグの生みの親である川淵三郎(日本サッカー協会最高顧問)だ。

 

「それが地道な努力を重ねてきた森保だったことに価値がある」

 

 92年4月、ハンス・オフトが日本代表に選出するまでは知る人ぞ知る存在だった。広島の前身であるマツダに所属していたが、年代別の代表にさえ選ばれたことがなかった。

 

 いかに彼が無名だったかについては、名前に関する逸話を持ちだすだけで十分だろう。ある試合では「モリ・ホイチ」と紹介され、あろうことか地元・広島で開催されたアジア杯では観客席から「モリホ!」という声が飛んだ。同学年の北澤豪からは「キミ、ポジションどこだっけ?」と真顔で聞かれた。

 

 Jリーグ初代チェアマンの川淵ですら森保に対する知識は持ち合わせていなかった。

 

「オフトが(代表に)連れてくるまで、こんな選手がいるなんて正直言って知らなかった。今でいうボランチのはしり。相手の攻撃の芽を摘み、次につなげる。オフトジャパンは彼なしには存在しなかった」

 

 現役時代は決して器用なプレーヤーではなかった。頭脳と泥臭さで勝負するタイプだった。

 

 オフトジャパンに入ってのすぐの頃、私のインタビューに彼はこう答えたものだ。

「僕の場合、そんなに身体能力は高くない。走力にしろジャンプ力にしろ並以下です。技術ひとつとってみても、他人より優れているところは、ほとんどない。なにしろ、サッカースクールに行くとミスして子供たちに笑われるくらいですから(笑)」

 

 サッカースクールで子供たちに笑われていた青年が日本代表になり、そして初の元日本人Jリーガー優勝監督へ――。絵に描いたようなサクセスストーリーではないか。

 

 しかし、ディフェンディング・チャンピオンとして迎える今季は茨の道が予想される。主力から守りの要である森脇良太が浦和レッズへ移籍するなど戦力ダウンは否めない。

 

 指揮官に勝算はあるのか?

 「戦術の部分でも、相手はウチへの対策を徹底して練ってくるでしょう。ならば、それを上回るだけの攻撃のバリエーションを持たなくちゃいけない。もっとタテに速く行くとか、相手を揺さぶるとか……」

 

 守ってよし、攻めてよしの「鶴翼の陣」は、今季、どんな進化をとげるのか……。

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