パリを襲った同時多発テロの現場のひとつとなったスタッド・ドゥ・フランス(サンドニ)に隣接する広場で、市民らが黙祷を捧げた後、国家の「ラ・マルセイエーズ」を合唱したという記事が11月20日付けの毎日新聞に掲載されていた。

 

 今から17年前の1998年7月12日、サンドニは歓喜に包まれた。フランスは前回優勝国のブラジルに3対0と完勝し、初めてW杯を制したのだ。

 

 あの夜のことは今でも忘れられない。人波に溺れかけながらスタジアムを後にすると、頭上で爆竹が破裂した。足元にはカラになったワインのボトルがゴロゴロ転がっていた。

 

 地下鉄は危険を避けるためシャンゼリゼ付近の駅をパスし、停車駅は運転士の判断に委ねられた。車内に「フランス優勝」のアナウンスが流れるたび、列車は激しく上下に揺れた。

 

 シャンゼリゼに出ると、ボコボコにされた車が悲鳴のようなクラクションを発しながら立ち往生していた。この夜、シャンゼリゼは“パリ解放”以来の150万人の人波であふれ返った。

 

 まちのあちこちで「ジズー」のシュプレヒコールが響き渡った。優勝の立役者ジネディーヌ・ジダンの愛称だ。アルジェリア移民を両親に持つジダンは“多民族軍団”の象徴でもあった。

 

 守りの要のデサイーがガーナ系なら、主将のデシャンと快速サイドバックのリザラズはバスク人。テクニシャンのジョルカエフはカルムイク系とアルメニア系のハーフ、中盤のダイナモのカランブーはニューカレドニア系、豊富な運動量を誇るテュラムはグアドループ系、点取り屋のトレゼゲはアルゼンチン系とまるでモザイクのような民族構成を、フランスの縮図と見なす識者は少なくなかった。

 

 それを快く思わなかった極右政党・国民戦線(FN)のジャン・マリー・ルペン党首は「両親が国歌も満足に歌えないチームが本当に代表チームと言えるのか」と非難した。だがジダンはそれに対する答えを用意していた。「この党はフランスの価値観に合わない」

 

 フランスの価値観――すなわち自由(リベルテ)、平等(エガリテ)、博愛(フラテルニテ)。それを根底から揺るがす今回のテロである。引き裂かれた連帯と取り戻すべき日常。スペインの地でジダンは今、何を思うのだろう。

 

<この原稿は15年11月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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