今季限りでの引退を表明したサッカー元女子日本代表の澤穂希は「男の子に生まれたらよかったのに」と悔やんだことがある。

 小学6年生の時のことだ。目標としていた「全日本少年サッカー大会」に「女子には出場資格がない」という理由で本大会どころか予選となる都大会にすらエントリーできなかったのだ。

 

 いわゆる“いじめ”に遭ったことも一度や二度ではない。ある試合では「女のくせにサッカーなんかしやがって」とののしられ、スパイクを蹴り上げられた。普通の女の子なら涙のひとつもこぼしていただろう。頭にきて追いかけ回したというところが澤らしい。

 

 同じようなエピソードを現在は国会議員となっている谷亮子から聞いたことがある。小学生の頃、地元で行われた柔道大会で、谷は男の子を相手に“5人抜き”を演じた。

 

 その中には背負いで頭から叩き付けられた大柄な男の子もいた。「2人くらい頭から落ちて運悪く脳震盪を起こしてしまった。確か打ち所が悪くて救急車で運ばれたはずです」と谷。その頃の柔道と言えば、男がやるものだ。谷に投げ飛ばされた男の子は「なんで女なんかに負けるんか!」と親に怒鳴られ、小さくなっていたという。

 

 その谷が金メダルを胸に飾ったシドニー五輪で女子のメダル数(13)が初めて男子(5)を上回った。女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子は国民栄誉賞に、パラリンピックで6個の金メダルを獲得した成田真由美は内閣総理大臣顕彰を受けた。

 

 社会に目を転じると85年に男女雇用機会均等法が設けられ、99年には男女共同参画社会基本法が制定された。こうした社会情勢の変化も女子アスリートの躍進を支えた。

 

 ところがJOC加盟の競技団体の役員数を見ると、女性は1割にも満たない。JOCの役員名には橋本聖子、高橋尚子、山口香の3人が名を連ねているだけだ。

 

 能力もないのに女性だからという理由だけで優遇しろと言っているわけではない。それは男性も同じだ。ただ1割未満という数字は国際的に通用しない。94年に採択された「ブライトン宣言」には<女性のリーダーや意思決定権者がおらず、模範となる女性像が存在しない状態では、女性や女子の機会均等を実現することはできない>との指摘がある。新国立競技場を巡っては国民の側から鋭い視線のメスが入った。旧態依然とした組織体にも目が向けられるべきだ。

 

<この原稿は15年12月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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