子供の頃から“デブ”だった。しかし、この男、ただの“デブ”ではなかった。いわゆる“動けるデブ”だったのだ。高校時代に中村を指導した大阪桐蔭監督・西谷浩一は、こんな思い出を口にする。
「彼を最初に見たのは中2の時です。“今年はどんな選手がいるのか”とボーイズリーグの試合に足を運んだんです。その中にポッチャリしたキャッチャーがいた。それが中村だったんです。
 最初は単に“まんまるな子”という印象しかなかったのですが、何度も観ているうちに驚いたことがある。変化球打ちが抜群に巧いんです。普通、中学生はなかなか変化球に対応できないものなんですが、この子だけは違った。それで“カーブを狙っていたのか?”と聞いたら“はい、カーブを狙っていました”と平然と答えた。これにはびっくりしました。変化球を待ち、実際に狙って打った中学生なんて、中村以外には記憶にないですね」
(写真:楽天の岩隈は「バットを振らなくてもボールが飛んでいく気がする」と、その怖さを明かす)
 運動神経もズバ抜けていた。再び西谷の回想。
「彼はバスケット、バレーボール、サッカーと何でもできました。体育の先生が“中村は本当にスゴイ。バレーをやったら、ものすごいジャンプで、びっくりするようなスパイクを打っていたぞ”と。
 加えて俊足。(ツインズの)西岡剛は中村の1年後輩なのですが、盗塁数は西岡よりも多かった。得意なのは三盗。二塁から相手バッテリーのサインを伺い、変化球だと見るや、すかさず走っていました。野球に関する頭の良さは際立っていましたね」

 飛距離が伸びたのは高2の秋である。ノックを受けている最中、指を突いて骨折した。それで余計な力が入らなくなったのか、次の練習試合でホームランを3本も放った。これぞ“ケガの功名”である。要するにバッティングは力ではないのだ。大切なのは技術とタイミングである。

 高校の同級生に現阪神の岩田稔がいた。スカウトの視線は恐ろしく切れのいいいストレートを投げるこのサウスポーに集中していた。中村に対してはノーマークだった。
「“あのブーちゃん、柔らかいね”と言ってくださる方はいましたが、まぁその程度でしたね」
 こう振り返り、西谷は続ける。
「プロのスカウトが熱心に彼のことを見るようになったのは3年春の府大会からです。ホームランを8本も打った。正直言って、それまでプロに行けるなんて思ってもみなかったのですが……」

 高校通算83本塁打。01年のドラフトで中村は西武から2巡目での指名を受け、入団した。球団は“和製大砲”に大きな期待を寄せた。
 ライオンズの“和製大砲”と言えば、冒頭で紹介した“怪童”中西太にとどめを刺す。160メートルの伝説のホームランは今でも語り草だ。首位打者2回、ホームラン王5回、打点王3回。野武士軍団の主砲としてライオンズ3年連続の日本一に貢献した。

 9月4日、西武ドームでの福岡ソフトバンク戦。「ライオンズ・クラシック」と銘打たれたメモリアルゲームの最終戦で、中村は4戦連発となる37号を放った。スタンドには中西もいた。“怪童”から“おかわり君”へ――。中西は長距離砲の遺伝子の継承を確認したに違いない。

 実はこの2人、昨春に『ライオンズ60年史』(ベースボール・マガジン社)誌上で対談を行っている。
中西 飛距離にはこだわるほうか。
中村 ちょっと前までは、フェンスを越えたらホームランはホームランと思っていたんですけど、ファンの人も期待するので、それよりも、ドでかいホームランを打って喜ばせたいと思うようになりました。中西さんもすごい本塁打を打ったことがあるとお聞きしましたが。
中西 昔だよ。53年の平和台で、ほんとかどうか知らんが、当時の史上最長と言われるホームランを打ったことがある。のちのちいろんな人に、どんな打球やったと聞かれたけど、出だしが低かったのもあって全力で走り、打球の行方を見てないから自慢できんのや(笑)。

 この対談で中西は中村のことを「孫弟子」と語っている。中西も現役時代は巨漢だった。巨人のコーチをしている頃、デーブが西武から移籍してきた。デーブに対し、中西は「ワシら体重のある人はこうして打ったんだとか、いろいろ教えた」と語っている。

 中西は守備も巧かった。いわゆる“動けるデブ”の走りである。先の対談で中西は中村にこんなアドバイスも送っている。
「無理してやせることはないんだぞ。食事を控えたら気力、体力がしぼんでいくからな。何を言われようと、ホームランを打っているうちは好きなだけ食えばいいよ」
 おかわり中村、好むと好まざるとに関わらず、今ではアンチ・ダイエットの星でもある。

 最近のプロ野球は、まるでアイスホッケーのようだ。ヒジ当てにレガース……。身を守るためとはいえ、ちょっと重装備過ぎないか。そんななか、中村はひとつの防具もつけずに打席に立つ。
「動き辛いという面もありますが、そういうのに守られたくないという意識の方が強いんです」
 無口な男が、珍しく語気を強めた。

「内角ギリギリのボールにヒジを出してコツンと当たる人がいるじゃないですか。なんかあれ、卑怯というか、僕はそういうのが好きじゃないんです。
 自打球にしても、当たるのは自分のスイングがよくないから。それに、大体ボール球を振った時なんです。要するに、そういうのを極力振らないようにすればいいことなんです」

 つまりは、こういうことか。足に自打球が当たるのは低めのボール球、打ってはいけないボールに手を出した証拠。当たれば痛いし、自分に腹も立つ。しかし、その痛みがあるから失敗が記憶に刻まれる。防具をつけていると、こうはいかない。すなわち痛みの痕跡こそは成長の源泉なのだ。

 中村には独特の打撃観がある。
「ホームランの打ち損ないがヒット」
 生粋の長距離砲にしか口にできないセリフである。
「ホームランはヒットの延長」
 この常套句に少々ウンザリしかけていただけに中村のセリフは新鮮であると同時に衝撃的でもあった。

「僕、こう見えても負けず嫌いなんです。何でも一番でありたい。昨年は3月に顔面骨折をしたこともあって、思うようなバッティングができなかった。ホームラン王もオリックスのT−岡田に獲られてしまった。
 僕の心の中には“(ホームラン王のタイトルは)今年だけだぞ”との思いがありました。ケガをしたとはいえ、もう9本、ホームランを打っていれば僕が(タイトルを)獲れていたわけですから……。そういうこともあったので、今年はシーズンが始まる前からホームラン王を取り返したいという思いが余計に強かった。60本? それはちょっと不可能でしょうけど(笑)」

 無人の荒野を征くがごときのホームラン王レース。のぞいたわけではないが、中村家のホームラン炊飯器は無尽蔵のようである。

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<この原稿は2011年10月15日号『週刊現代』に掲載された内容です>