高校卒業後、山田和司は日本体育大学に進学した。練習環境やチームの雰囲気など、いくつか同大を選んだ理由はあったが、なかでも大きな割合を占めたのが、最大のライバルであった遠藤大由(ひろゆき)の存在だった。
「日体大は体育館が広くて、バドミントンのコートがたくさんあるので、1年生でも十分に練習することができるんです。それに、教員免許が取得できることも魅力の一つでした。でも、やっぱり遠藤が行くということが僕にとっては大きかったんです。遠藤は高校からずっと僕にとっては一番のライバル。その遠藤と同じ環境で切磋琢磨していきたかったんんです」
 遠藤へのライバル心が山田の成長の原動力となっていた。
 大学進学後、最初に頭角を現したのは遠藤だった。2年時のインカレでいきなり優勝し、早くも“学生チャンピオン”の称号を手にしていた。一方の山田もその遠藤の背中を追いかけるように、徐々に力をつけていった。3年以降は2人がチームのエースとなり、「日体大の遠藤と山田」は国内のバドミントン界では一目置かれていた。

 その山田と遠藤が対戦したのは、大学4年間でただの1度きり。4年時のインカレ出場をかけて行なわれた東日本学生大会の決勝だった。接戦の末、軍配は遠藤に上がった。その年、負け知らずできていた山田にとっては初の黒星。遠藤の強さを改めて感じさせられた試合として記憶に残っている。
 遠藤もまた、山田との対戦の中で最も印象に残っている試合に、この一戦を挙げた。
「僕はその日、すごく調子が良かったんです。でも、それも時の運。1日前だったり後だったりしたら、僕が負けていたかもしれない。試合自体、接戦でしたし、力の差というよりも、運が良かっただけのことです」
 遠藤もまた、山田をライバルとして認識し、簡単に勝てる相手ではないことはわかっていた。だからこそ、勝因は“運”だと言い切ったのだ。
 また、同大会では山田と遠藤はダブルスで優勝している。しかし、これが2人がペアを組む最後のダブルスになろうとは……。この時の2人は想像だにしていなかっただろう。

 2008年10月、4年間の集大成ともいえるインカレが開幕した。まずは2人で団体戦に臨み、順当に決勝まで進んだ。ところが、その決勝でアクシデントが起きた。シングルスの1セット目が終わり、山田がふと隣のコートに目をやると、同時進行で行なわれていたはずの試合が中断していた。そして、倒れている遠藤の姿が目に入った。
「いったい、何があったんだろう。大丈夫かなぁ……」
 逆転勝ちで試合を終えた山田だったが、隣の遠藤は棄権していた。聞けば、試合の途中で右ヒザを痛め、立ち上がることさえもできなかったのだという。次のダブルスを棄権すれば、そこで優勝はなくなってしまう。監督をはじめ、周囲は「無理だな。棄権をしよう」という意見で一致していた。だが、当の遠藤は出場するつもりで準備をしていた。その右ヒザには痛々しくテーピングが巻かれていた。足をひきずりながら歩いている遠藤の姿を見て、山田は「さすがに今回は無理だろうな」と密かに覚悟していた。一方、遠藤は「なぜ、棄権なのかわからなかった」という。
「その時、僕はただくじいただけだと思っていたんです。だから、なぜみんなが棄権をすすめるのか、わからなかった。まさか、前十字を切っていたなんて……」

 結局、監督の判断によってダブルスは棄権となった。遠藤は翌日からの個人戦も棄権し、そのまま病院へと直行した。別れ際、2人はこんな言葉を交わしている。
「あとはオマエに任せるよ」「わかった。オマエの代わりに絶対に勝つよ」
 大学最後の大会で無念のリタイアをした遠藤の分も、山田は何としても勝たなければならなかった。とはいえ、個人戦となると、正直自信はなかったという。それまでのインカレでのシングルスはベスト16、ベスト32、ベスト16と、どうしても3回戦を突破することができずにいた。
「ベスト8に入れば、国内最高峰の大会である全日本総合選手権の出場権を得ることができるのですが、過去3年間はあと一歩のところで負けてしまっていたんです」

 鬼門となっていた3回戦、1セット目を奪った山田は、2セット目もリードし、いよいよマッチポイントとなった。ところが、そこから連続失点を喫し、徐々にその差を縮められていった。
「『あと1点で勝てる』と思ったら、逆に僕の方がガチガチになってしまったんです(笑)」
 それまでの山田なら、そのままズルズルといっていただろう。だが、その時の山田は自分だけで戦っているわけではなかった。ケガをした遠藤の分も勝つ責任があった。焦りを鎮め、山田は開き直った。
「もうファイナルにいってもいいや」
 すると、途端に体の力がいい具合に抜け、最後のポイントを取り切った。
「初めて気持ちの切り替えをすることができた試合でした。今でも試合で時々、思い出すことがあるんです。僕にとっては、決勝で勝ったことよりも、大きな意味をもつ試合でした」

 これまで乗り越えられなかった壁を、ようやく突破した山田にはもう失うものはなかった。あれよあれよという間に準々決勝、準決勝を勝ち上がり、決勝も21−12、21−14と相手を全くよせつけない圧倒的な力を見せ、見事シングルス初優勝で有終の美を飾った。
「まさか優勝するなんて……」
 山田本人をはじめ、周囲がそろって驚きの声をあげる中、たった一人、「全く驚かなかった」のが遠藤だった。
「別れ際に、山田に何て言ったか、正直、覚えていないんです(笑)。でも、山田が優勝したって聞いても、僕は全然驚きませんでしたよ。普通にやれば優勝できるだろうと思っていましたから」
 高校時代から共に切磋琢磨してきた遠藤だからこそ、山田の真の強さを感じ取っていたのだろう。ライバルとの約束通り、学生チャンピオンに輝いた山田は、いよいよ国内最高峰の舞台へと歩を進めた。そして、その大会で彼は1点の重要性を知ることになる。

(最終回へつづく)

山田和司(やまだ・かずし)プロフィール>
1987年2月21日、愛媛県生まれ。両親がコーチを務める「新居浜ジュニアバドミントンクラブ」に通い始めた小学3年からバドミントン一筋。中学2年時には全国中学校総合体育大会に出場した。小松原高、日本体育大では遠藤大由(現・日本ユニシス)と共にエースとして活躍。大学4年時(2008年)にはインカレで男子シングルスを制覇した。09年、日本ユニシスに入社。同年12月に行なわれた全日本総合選手権大会で3位となり、昨年の世界選手権では日本人として男子シングルスで30年ぶりのベスト8に進出した。現在、日本代表としてロンドンを目指し、国内外の大会を転戦している。3日現在、日本ランキング3位、世界ランキング28位。






(斎藤寿子)
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