ジャパン史上屈指のキャプテンがユニホームを脱ぐ。ラグビーのイングランドW杯日本代表・廣瀬俊朗だ。廣瀬はエディージャパン発足時のキャプテンである。14年4月にその座をリーチ・マイケル(東芝)に譲った後も、精神的支柱としての貢献度は計り知れない。廣瀬はW杯で試合には出られなかったが、対戦国選手のプレーを人一倍研究してレギュラー組に情報を伝えた。ジャパンの家族、関係者に声をかけメンバーのモチベーションを上げるVTRを作成するなど“ブライトンの奇跡”の陰の功労者だ。類稀なる廣瀬のキャプテンシーを、当時の原稿で触れてみよう。

 

<この原稿は2014年3月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 ラグビー日本代表ヘッドコーチ(HC)のエディー・ジョーンズから「ちょっと会いたい」と連絡を受けたのは、一昨年の3月のことだ。エディーが代表HCに就任した時期と重なる。

 

「何も用事がないのに、わざわざ呼び出しはしないだろう。何があるのかなぁ……」

 東芝ブレイブルーパスのウイング(WTB)廣瀬俊朗は軽い気持ちで、約束した府中市内の喫茶店に出向いた。

 

 会うなり、エディーは単刀直入に切り出した。

「ジャパンのキャプテンをやってくれないか」

 

 予期せぬ依頼ではあったが、断る理由はなかった。

「わかりました。やります!」

 

 かくして廣瀬は2015年W杯イングラント大会に向けて新体制となったジャパンのキャプテンに就いた。

 

「エディーさんから僕のプレーに対する感想を聞いたことはなかった。強いていえば(11年6月の)東日本大震災のチャリティマッチで、エディーさんがトップリーグ選抜監督になり、日本代表と戦ったんです。その時のトップリーグ選抜のキャプテンが僕で、“フィーリングが良かった”という話を聞いたことがあります。

 いずれにしても代表のキャプテンになるのはとても光栄なこと。プレッシャーも楽しみのひとつだという思いでやらせていただいています」

 

 エディーの指導者歴は輝かしい。01年、オーストラリアのクラブチーム・ブランビーズを率い、スーパー12で優勝。03年W杯はHCとして祖国オーストラリアを準優勝に導いた。目標の世界一は南アフリカのテクニカルアドバイザーとして07年W杯で達成した。

 

 日本ではサントリーを率いて監督就任1年目で日本選手権を制すると、翌シーズンはトップリーグとの2冠を達成した。

 おそらくライバルチームの東芝でキャプテンを務めていた廣瀬の姿が、エディーの目に留まったのだろう。人は見ていないようで、見ているものである。

 

 30歳で代表キャプテンに抜擢された廣瀬だが、それまでの代表キャップは07年4月、香港戦での1度だけ。もちろんW杯出場経験はない。

 

 こうした事情もあって、当時の廣瀬は「海外というものを意識する立場にはなかった」。それが一転、世界を相手に戦い、勝利するというミッションを背負うことになってしまったのである。

 

 日本は現在、世界ランキング14位。W杯には第1回から7大会連続で出場しているが、勝利したのは第2回大会(91年)でのジンバブエ戦の1度きり。列強の壁は厚くて固い。

 

 どうすれば、日本は世界を驚かせることができるのか。

 

 エディーの考えはこうだ。

「日本人選手は諸外国の選手と比べると相対的に小さい。これをハンディキャップと見る向きもありますが、逆にいうと他のチームは日本のラグビーを真似できない。つまり、体が小さいことは、むしろ強みなんです。

 問題は体の小ささをどう生かすか。スピードと頭脳、そしてスキル。ここを伸ばさなければ世界と戦うことはできません」

 

 エディージャパンの可能性を感じさせたのが昨年6月、東京・秩父宮ラグビー場で行われたウェールズ戦だ。

 

 ウェールズは欧州のシックスネイションズを連覇中の強豪。日本は過去12回戦い、すべて敗れていた。

 

 ところが、この日は違った。前半を6対3とリードして折り返すと、後半立ち上がりこそ逆転を許したが、2トライをあげるなどして再逆転し、さらに点差を広げた。スコアは23対8。歴史的な勝利だった。

 

「世界トップに勝てるチームになった」

 エディーは興奮気味に語った。

 

 それを受けての廣瀬の感想。

「正直言って、最初にウェールズとやると聞いた時はビックリしました。“どうなるんだろう?”“大丈夫か?”って。

 でも結局は自分たちが信じることをやり抜くしかない。ウェールズだからといって特別なことはしない。体を張って皆を信じて戦おう。そうすれば結果は後からついてくる。全員で確認したのは、その点だけでした。実際、その通りの結果に。この勝利はチームにとって大きな経験となりました」

 

 アウェーでも桜のジャージは躍動した。昨年11月、英国エジンバラでのスコットランド戦。17対42で敗れはしたものの、何度も見せ場をつくった。

 

 とりわけ後半2分のトライは見事だった。廣瀬が抜け出し、敵ゴールに迫ると、大きく左に展開。大外から走り込んできたWTB福岡堅樹が相手ディフェンスを振り切り、この試合、待望の初トライをあげたのだ。

 

「あれはいいトライでした」

 と振り返り、廣瀬は続けた。

「負けはしたけど普通に戦えた。相手はどこだろうが関係なく戦える手応えをつかみました」

 

 慶応大から東芝に進み、トップリーグで5度、日本選手権で2度の優勝を経験した。

 

 強いチームは選手間の意思疎通がしっかりできている。東芝での選手2人1組のミーティングは廣瀬がキャプテン時代に発案したものであり、この手法はジャパンでも取り入れている。

 

 いわゆるペア・ミーティングの効能を廣瀬はこう語る。

「たとえば年上の者が年下の者にアドバイスする場合、“自分もしっかりしなければ”と責任感が芽生えるんです。逆に年下の者から年上の者に意見できれば、それによってストレスが軽減する。2人だと、いろんなアイデアが出てくるし、考えもまとまりやすいんです」

 

 慶大時代、コーチとして廣瀬を指導した現楽天野球団社長の立花陽三はジャパンの主将をこう評する。

「彼はカリスマ性があるかと聞かれれば、そうではない。目立つタイプでもない。ただピッチに立つと人が変わる。“オレは体を張るからついてこい”というタイプ。そこをエディーさんは見ていたのでしょう」

 

 イングランドW杯のアジア地区予選を兼ねる5カ国対抗が4月からスタートする。エディージャパンの目標はW杯出場権獲得ではなく、本大会でのトップ10入りだ。

「僕のこれまでの人生の中では一番大きなミッション」

 それは望むところ、と言わんばかりに、32歳は次の言葉をグッとのみこんだ。


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