昨季、名将・野村克也の右腕として、2009年には東北楽天を初のプレーオフ進出に導いた橋上秀樹(現・巨人戦略コーチ)を指揮官に迎え、さらには日米韓台で活躍した元NPBセーブ通算記録保持者の高津臣吾が入り、一躍話題となったのが独立リーグの一つ、BCリーグの新潟アルビレックスBCだ。そのアルビレックスのエースとして活躍したのが、雨宮敬である。昨季は11勝2敗1セーブ、防御率1.79の好成績を残し、チームを設立以来初の地区優勝に導いた本格派右腕だ。渡辺貴洋(巨人)と共に、アルビレックス待望のNPB指名第1号となった雨宮に今の心境を訊いた。
―― ドラフトでの指名について。
雨宮: 自分では腕をしっかりと振って、強気に打者に向かっていく姿勢を評価されたのかなと。ただ、NPBでは真っ直ぐだけでは通用しないと思うので、フォークボールをもっと磨いていきたいと思っています。

―― そのフォークについて、新潟での入団1年目(2010年)には、中山大投手コーチから「一番の魅力だが、もう少し精度が欲しいところ」という言葉があった。
雨宮: 2年目の昨季は、三振も取れるようになりましたし、自分では追い込んだ時の勝負球としても使えると思っています。

―― 1年目との違いは?
雨宮: 1年目は指が大きく開かなくて、挟もうとした時に強く押し込まないといけなかったんです。そうすると、グローブが動いてしまうので、バッターにはわかってしまっていたんです。それで、中山さんからいただいた鉄の球を使ってトレーニングしました。家にいる時も鉄の球を指に挟んだりして。それでだいぶ指が開くようになって、グローブを動かさずに、スッと挟めるようになりました。これだけでも、自分にとってはすごく大きかったですね。

―― 昨季は、シーズン途中からマウンド上での気持ちの持ち方が変わったとか。
雨宮: 自分はこれまでマウンドで気持ちが高ぶるとイライラして、それで周りが見えなくなってしまうことがよくあったんです。でも、橋上監督や中山コーチから人間性の部分でアドバイスをいただいたり、チームが一丸となって戦っているのを感じて、「自分も変わらなくちゃいけないな」と思ったんです。それで、熱い気持ちの中にも冷静な部分をしっかりと持とうと。それが結果にもつながりましたし、ジャイアンツからもその部分を評価されたのではないかと思います。

―― そもそもBCリーグに入ろうと思ったのは?
雨宮: 大学の時に、社会人チームに練習参加させてもらったりもしたんですけど、結局、どこからも声がかからなかったんです。それで伊藤彰コーチ(元ヤクルト)からアルビレックスを紹介してもらって入団テストを受けました。

―― 当時、独立リーグへのイメージは?
雨宮: レベル的にはちょっとわからなかったですけど、とにかく生活は厳しいと聞いていました。実際に入ってみて、生活の面でも練習環境の面でも大学とは違い、いろいろと大変でした。でも、それを乗り越えたからこそ、今があると思っています。

  挑戦心を復活させたコーチの言葉

 山梨学院大学時代は1年時からレギュラーを張り、同年秋には最多勝、ベストナインを獲得。3年春にはノーヒットノーランを達成するなど、4年間でリーグ通算17勝を挙げた雨宮。しかし、2年時には原因不明の不調から、腐れかけていた時期もあったという。さらには卒業後はNPBへの夢を諦めようとした。その彼が、どのようにして道を切り拓いてきたのか……。

―― 大学時代は最多勝を獲得した1年時とは一転、2年春は0勝4敗と苦しんだ。
雨宮: 背番号18番をもらって、エースとして臨んだのですが、全くダメでしたね。不調の原因は、自分でも全くわかりませんでした。

―― チームも最下位となり、2部降格のピンチに、無四球6安打完封勝ちの好投をした。
雨宮: 1年にいいピッチャーが入ってきていて、それとキャプテンの2人しか使えないというようなことを当時の監督から入れ替え戦の前に言われたんです。「じゃあ、オレなんか要らないじゃないか」と、半分腐れていましたね。そしたら、1年生が先発した1試合目を落としてしまったんです。次の試合で負けたら2部降格が決定でした、そしたら監督が「明日はオマエが先発だから」と。正直、「無理でしょ!?」と思いましたよ。でも、自分もまだ2年生で野球部を2部に落とすわけにはいきませんでしたし、翌日には気持ちを切り替えてマウンドに上がりました。伊藤コーチからも「腕をしっかりと振って投げるだけだ」と言われていたので、それしかないなと。あとはバックを信じて投げました。そしたら予想以上にいい結果が出ましたね。

―― これまでの野球人生で転機となったのは?
雨宮: 実は4年の時、社会人のどこからも誘いがなかったので、もう本格的に野球をやるのはやめて、軟式チームのある会社にでも就職しようと思ったんです。実際に内定をもらっていたのですが、伊藤コーチから「オマエは軟式でやるようなピッチャーじゃない」と言われました。すごく心に響きましたね。そう思ってくれる人が一人でもいるのなら、可能性がある限り、挑戦してみようと。それで、新潟の入団テストを受けることにしたんです。その言葉があったからこそ、今、ジャイアンツの一員になれたのだと思っています。

―― NPBで対戦したいバッターは?
雨宮: 山梨学院大学の先輩である内村賢介さん(東北楽天)と明石健志さん(福岡ソフトバンク)とは機会があれば、ぜひ対戦してみたいですね。できればストレート勝負をしてみたいですけど、まぁ、キャッチャーのサイン通りに投げると思います。でも、今はとにかく早く支配下登録されることです!

 座右の銘は「強気」という雨宮。「バッターも強気でくるわけですから、僕が強気に向かっていかなければ負けてしまう」というのが、その理由だ。しかし、今はその“強気”一本やりではない。アルビレックス時代に身に付けた「熱き中にも冷静さを失わない」ピッチングが雨宮の真骨頂だ。2年前、同じBCリーグから巨人に入団した星野真澄に続き、1年目から“開幕支配下登録”を果たすことができるか。キャンプ地からの朗報を期待したい。

雨宮敬(あめみや・たかし)プロフィール>
1987年7月6日、山梨県生まれ。小学3年から野球を始め、中学で外野手から投手に転向した。山梨学院大付高では3年夏の県大会で決勝進出を果たした。山梨学院大では1年から主力として活躍し、同年、最多勝、ベストナインを獲得。3年春にはノーヒットノーランを達成した。卒業後、BCリーグ・アルビレックスBCへ。1年目は不動のクローザーとして活躍。先発に転向した2年目の昨季は、最速149キロの直球を武器にチームトップの11勝を挙げ、初の地区優勝に大きく貢献した。174センチ、85キロ。右投、右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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