流通業界における革命児といえば、真っ先にダイエーを創業した中内功の名前が思い浮かぶ。徹底して消費者の側に立ち“価格破壊”を断行した。続いて文化事業にも熱心に取り組んだセゾングループの堤清二、そしてコンビニを10兆円市場に育て上げたセブン‐イレブンの鈴木敏文か。

 

 その鈴木が人事を巡って指名報酬委員会や創業家、米投資ファンドと激しく対立し、引退に追い込まれる経緯は多くのメディアによって報じられた。一連のニュースを何気なく見ていて、腑に落ちなかった点がひとつある。「なぜ後継者を育てられなかったのか?」との問いに鈴木は「私の不徳の致すところです」と短く答えたのだ。鈴木としてはそう答えざるを得なかったのだろうが、おそらく本意ではなかったはずだ。「後継者が自らを越えられなかった」。そんな思いが透けて見えた。

 

 そもそも論として、リーダーに後継者を育てる義務や責任はあるのだろうか。もっと挑発的に言えば、時のリーダーに手塩にかけられ、レールまで敷かれた人物は能吏としては優秀でも、旧弊を打破したり、新しいものを生み出す力には欠けているように映る。

 

 周知のように米国生まれのコンビニ事業は、周囲の反対を押し切っての立ち上げだった。「時期尚早」「前例がない」。逆風の中での鈴木の決断がなければ、コンビニがこの国の社会インフラにまで成長することはありえなかっただろう。

 

 スポーツに目を転じれば、サッカー冬の時代にJリーグを創設した川淵三郎のリーダーシップが光る。ある週刊誌に協会元会長が川淵を批判するコメントを寄せた。後継者を育てなかった責任を問うたのだ。

 

 この点を質すと、川淵は言下に切って捨てた。「僕だって誰かに育てられたわけじゃない。一般論として言うけどね、僕はリーダーは“育てられる”ものではなく“育つ”ものだと思っている。また誰かに“育てられた人”じゃカリスマ性を持てない。それは改革を必要とする組織にとって不幸なことですよ」

 

 鈴木しかり川淵しかり。時代を遡れば松下幸之助しかり、本田宗一郎しかり。影響を受けた人物はいても、誰かに「育てられた」わけではない。何より事業に必要なのは決断力と独創性である。それは決して斯界を代表するリーダーに教わったからといって身につく性質のものではないような気がしている。

 

<この原稿は16年5月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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