拳に賭ける青春 井上尚弥

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<この原稿は2014年1月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

 プロデビュー4戦目での日本王座奪取は、元WBC世界バンタム級王者・辰吉丈一郎以来、23年ぶりの快挙である。

 

 2013年8月25日、井上尚弥は日本ライトフライ級王者・田口良一を3対0の判定で下し、戴冠に成功した。

 

 プロ20戦のキャリアを誇り、WBA世界3位(当時)の田口にボクシングをさせなかった。スコアの上では圧勝だった。

 

 にもかかわらず、井上には不満が残った。

「自分もかなり研究されていて、簡単には勝たせてもらえなかった。もちろん最初から倒す気でいましたが、途中で重心が浮いちゃって修正し切れなかった。倒せそうな戦い方ではなかったですね」

 

 既にプロで何年もメシをくっているような物言いだ。この青年が目指すべき頂は、途轍もなく高い。

 

 アマチュアボクサーだった父・真吾の影響で小学1年の時にボクシングを始めた。幼い日々を、井上は、こう振り返る。

「父はジムで練習できない時は家で練習していました。その姿を見て、僕も自然と強くなりたいと思いました。

 

 しかし、父から、ああしろ、こうしろ、と言われたことは一度もない。僕の方から“ボクシングを教えてください”と頼んだのを覚えています」

 

 門前の小僧習わぬ経を読む、ということわざがあるが、父親の指導を受け、気が付けば、井上少年もボクシングの虜になっていた。

 

 高校では全日本選手権と国際大会(インドネシア大統領杯)を含む7冠に輝いた。

 

 目指したのは12年のロンドン五輪。前年の世界選手権ではベスト16に進出し、出場権獲得まであと1勝に迫ったが、キューバのY・ベイティア・ソトに判定で敗れた。その後のアジア選手権でも決勝でカザフスタンの選手に敗れ、五輪出場の望みは潰えた。

 

 この時の悔しさは、今も脳裡から離れない。

「ソトには3ポイント差で敗れました。(日本ボクシング)連盟の方には“キューバ選手相手に健闘だ”と言われたのですが、1ポイント差でも負けは負けです。ボクシングは1ポイントで天国と地獄が分かれる世界。そのことを書いて、忘れないように家のリビングの壁に貼りました。今となっては、いい経験だったと思います」

 

 五輪への夢を断たれた井上はプロに転向した。所属先に選んだのは横浜市内の大橋ジムだった。ジムの会長は、元WBC・WBA世界ストロー(ミニマム)級王者・大橋秀行。現役時代は「150年にひとりの逸材」と呼ばれた男である。

 

 井上との出会いを、大橋はこう振り返る。

「実は彼のことは小学生の頃から知っているんです。別のジムで練習していましたが、その才能は、もうズバ抜けていました。高校での7冠も、僕からすれば、当然の結果だとみていました」

 

 続けて、大橋はユニークな見解を披露した。

「どんなスポーツでも、そうですが、早くから始めた方がうまくなります。日本プロボクシング協会は6年前にキッズ・プロジェクトを始めたのですが、その第一期生が井上なんです。

 これまで日本人の世界チャンピオンといえば、テクニックを根性でカバーするのが常でした。“打たれ強さ”は最大の褒め言葉でした。

 

 しかし、ボクシングの本道はテクニックで相手を圧倒することです。そのためには子供の頃から技術を習得するしかない。20歳を超えてからボクシングを始めても技術習得には限界があります。

 

 その意味で、井上はボクシングのエリートです。早い時期に技術を身につけた秀才といってもいいでしょう。しかし、秀才というだけでは世界チャンピオンにはなれない。秀才でありながら彼は努力を忘れない。

 

 僕の目には秀才が努力をすることで天才になろうとしているように映る。彼の実力は、まだまだ、こんなものじゃないですよ」

 

 プロ転向にあたり、井上は大きな目標を掲げた。

「具志堅用高さんの(日本人最多となる)13度の(世界タイトル)防衛を塗り替えること」

 

 ボクシング界のレジェンドを超えようというのだ。

 

 大橋ジムに入門するにあたっては「弱い選手とはやらない」ことを条件にあげた。もちろん、これは本人の意思だった。さも当然といった口調で井上は言う。

「そりゃ弱い選手とやる方が楽でしょう。でも、それで勝っても意味がないじゃないですか。自分と同じレベルか、それ以上の選手と戦ってこそ、自分もレベルアップすることができる。だから“強い選手とやらせて欲しい”と頼んだんです」

 

 13年4月、日本ボクシングコミッションは従来のWBAとWBCに加え、IBFとWBOにも加盟し、タイトルを認定した。この“タイトル緩和策”によって、世界挑戦のチャンスは、これまでの2倍に増えた。日本人の現役世界王者は過去最多の10人になった(13年11月末現在)。

 

 ご同慶の至りと言いたいところだが、これは同時に世界タイトルの価値の下落を意味する。

 

 だから大橋は、語気を強めてこう言うのだ。

「チャンピオンが10人もいれば、ただ防衛したというだけでは評価されない。どれたけ強い相手と戦ったか、王座統一戦をやって力の差を見せつけたかで、そのチャンピオンの価値は決まる。つまりホンモノしか評価されない時代に入ったんです。井上は、そういう時代の中心にいるボクサーだと思っています」

 

 史上最速タイの4戦目で日本王者になった井上は、東洋太平洋の王座挑戦の先にある「世界」に照準を合わせている。

 

 この20歳、いったい、どこまで強くなるのか。

「今は世界チャンピオンになっただけでは認められない。なってから、どんな試合をするか。どんな記録をつくるか。そこにこだわっていきたい」

 

 夢への助走、栄光への準備。“若き怪物”に死角は見当たらない。

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