盗塁王・福本豊の走塁技術、小さな大打者・若松勉のバットコントロール、犠打世界記録保持者・川相昌弘のバント、高津臣吾のクローザー論、松井稼頭央の両打ちの極意――。
 ものづくりの世界に職人の技があるように、プロ野球にも匠の技術がある。光文社『小説宝石』で二宮清純が連載していたシリーズ「プロ野球の職人たち」が新書になりました。この本では二宮が現役・OB問わず、架空の“職人球団”を編成。その選手、スタッフならではのワザの秘密に迫ります。深く野球を楽しみたいと思っている方にはオススメの一冊です。
 二宮清純メッセージ

 一流のピッチャーは常に指先でボールと豊穣な会話を交わしている。その象徴的なシーンが「江夏の21球」だろう。
 広島と近鉄との間で行われた79年の日本シリーズ第7戦、9回表が終わった段階で広島が4対3と1点のリード。マウンド上には広島の守護神・江夏豊。無死満塁での攻防は山際淳司のノンフィクションに詳しい。

 この傑作で触れられていなかったポイントがある。それは、絶体絶命のピンチで右バッターのひざ元に小さく曲がるカーブを多投したことである。9回裏、江夏が近鉄打線に投じた21球のうち、実に8球がカーブなのだ。無死満塁で佐々木恭介を三振に切って取ったのがカーブなら、石渡茂のスクイズ外したもカーブ。最後に石渡を三振に仕留めたのも、またカーブなのだ。

 この日、江夏はなぜカーブを多投したのか。さらに言えば普段なら緩い軌道を描く江夏のカーブが、なぜ、この日に限っては右打者の視界から消えるようにススッと沈んだのか。

 それは、当日の空模様と無縁ではあるまい。降ったり止んだりのあいにくの天候。適度の雨は指に潤いをもたらせる。カーブを狙ったコースに配するにあたっては、この“しっとり感”が重要になる。江夏は空とも対話しながら、配球を練り、勝負球を決めたのである。

 いつだったか、江夏から、こんな話を聞いたことがある。
「オレは朝、起きると何をするより、まずパッと手を触るんだ。むくんでいないか、冷たくなっていないか、しびれていないか……。だから寝るときもオレの場合は決まって左腕を(体の)上に置いた。下に置くと、しびれることがあるからね。これは職業意識というより、この仕事をやっていれば当然のことじゃないかな」
 仕事へのこだわり、そのための準備――。職人魂の生粋を見る思いがしたものだ。

 本書で紹介する史上最強の代打男・高井保弘の話は、まさしく“目からウロコ”の連続だった。
 3打席も4打席も打席に立つことのできるレギュラーとは違い、ピンチヒッターは、たった一振りで相手ピッチャーを粉砕することを最大の職務とする。結果を出すためには徹底して相手を研究し、クセを掴んでおかなくてはならない。事前の準備ですべてが決まると言っても過言ではないのだ。

 代打稼業を極めるにあたり、高井が書き残した膨大なメモは、プロ野球の秘密文書としては超一級品である。これほどの人材を遊ばせておくのは、あまりにももったいない。

 これも昔の話だが、江夏に「もしバッティングコーチをひとり選べと言われたら、誰にします?」と問うたことがある。江夏は即座にこう答えた。
「ブーちゃん(高井のニックネーム)やろう。あれだけの技術を持った男は他にはおらんわ」

 職人は職人を知るということか。長い歳月を経て磨き上げた技術、プロフェッショルとしての矜持、そして、飽くなき探究心――。彼ら職人の世界を知らずして、プロ野球を語ることはできない。

 本書ではそんな職人たちをオールタイムで選び、オーダーを組んでみた。最強とは言えないが、味のあるチームになったと思う。バントの名手・川相昌弘は2番に置くべきだったかもしれない。そうなれば松井稼頭央はどこで起用すればいいのか。こんな悩みも、また愉しい。

(はじめに、より抜粋)

『プロ野球の職人たち』

○1番センター 福本豊
○2番セカンド 松井稼頭央
○3番レフト 若松勉
○4番サード 中村剛也
○5番ファースト 高井保弘
○6番ライト 稲葉篤紀
○7番キャッチャー 古田敦也
○8番ショート 川相昌弘
○9番ピッチャー 成瀬善久
○クローザー 高津臣吾
○投手コーチ 佐藤義則
○スカウト 片岡宏雄
○フロント 小林至
○アンパイア 名幸一明

(光文社新書/定価:820円+税/二宮清純著)
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