本来、スポーツとは祭りのようなものだとわたしは思っている。楽しいから、やる。興味がなければ、あるいはイヤなのであれば、参加しない自由もある。主たる権利は、あくまでも個人にある。

 

 楽しみの中には、むろん、勝つ喜びもある。そして、その喜びを追及していった果てに生まれたのが国際大会――五輪やW杯だった。ただ、ほんの数十年前まで、そこに参加する選手が求めるもの、そして観戦する者が求めるのは、あくまで結果だった。勝つか、負けるか。興味と関心はその一点に集中していたといっていい。

 

 モハメド・アリは、そうしたスポーツのあり方を大きく変えた人物だった。とうより、彼がいなければ、果たしてスポーツはここまでエンターテインメント化したものかどうか。

 

 意図したものだったのか。それとも単なるパーソナリティーの問題だったのか。アリは、リング外でのニュースを提供する達人だった。徹底して相手をこき下ろしたかと思えば、徴兵制の問題では国そのものに噛みつきもした。その言動は試合と同じぐらい、時には試合以上の注目を集め、結果的に彼の試合は途方もない数の人々から注視されることとなった。

 

 もちろん、その言動に不快感を覚える人もいた。だが、アリが放言を繰り返したことで、彼の試合は勝つか負けるか、だけでなく、叩きのめすか、のめされるかというところにも注目が集まるようになった。史上初めて、結果だけでなく中身や過程、その後までも重視されるようになったのだ。

 

 つまり、アリはスポーツを当事者同士のものから、それを取り囲む層――ファンまでに枠組みを広げた世界最初の世界的アスリートだった。

 

 同世代の世界的な黒人アスリートとしては、ペレがいる。ただ、プレーヤーとしての資質はともかく、社会に波を起こし、それまで競技に興味を持たなかった層を取り込む能力に関しては、アリにはまったく及ばない。アリは挑発したが、ペレはしなかった。アリにはアンチがいたが、ペレにはいなかった。

 

 アリの出現以降、ボクシング界だけでなく、他の世界でも試合以外の場所で話題を提供するアスリートは少しずつ増えていった。

 

 たとえば、クライフ。気に入らないサッカーを容赦なく否定し、また「大差で勝っている時は次の得点を狙うのではなく、バーに当てることを狙った。そちらの方がファンは喜ぶから」とまでいった彼は、スポーツを結果だけでは考えない人間だった。まったくの推測だが、その発想には、少なからずアリの存在が影響していたのでは、とも思う。

 

 ただ、そのクライフも今年鬼籍に入った。いずれペレやクライフの功績を知らない人が多数派になる日も来るだろうが、古い世代のライターとしては、少しでもその流れを食い止めたいな、と思ったりもする。

 

<この原稿は16年6月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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