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(写真:途中棄権となり「悔しい気持ちでいっぱい」と語る右代)

 11日、リオデジャネイロ五輪日本代表選考会を兼ねた「第100回日本陸上競技選手権大会混成競技」初日が長野市営陸上競技場で行われた。男子十種競技は日本記録保持者の右代啓祐(スズキ浜松AC)がケガの影響で1種目目終了後に途中棄権。これにより2010年から続いていた連覇が6でストップした。初日を終えて男子は中村明彦(スズキ浜松AC)が4278点で、女子(七種競技)はヘンプヒル恵(中央大)が3360点でトップに立った。

 

 日本の“キング・オブ・アスリート”右代が、6年間守り続けていた王座を譲ることとなった。

 

 悪夢は大会1週間前、棒高跳びの練習中に起こった。ポールが折れて、左ひざを裂傷。左親指は骨折した。曲がらなくなった指を7日に手術し、動くまでには回復した。「今日を迎えるまで1日も無駄にしなかった」という右代は、スタートラインに立った。

 

 1種目目は100メートル走。ヒザにテーピングを巻いて、走った結果は12秒21で出場選手中最下位だった。それが右代にとって精一杯だった。「走っての痛みはなかった。ジョグしかできていなかったのに身体がびっくりするぐらい動いた」。関係者やファンの後押しが力になったという。だが傷口からリンパ液が出ていたこともあり、無念のドクターストップを余儀なくされた。

 

 将来のことを考えれば、賢明な判断だったといえよう。日本陸上競技連盟の麻場一徳強化委員長も「彼自身が一番悔しいはず。私の立場からはこれからの大きな舞台を目指している選手。勇気をもって決断してくれた」と口にした。既に5月の日本選抜陸上和歌山大会で8160点をマークしており、参加標準記録(8100点)は突破している。リオデジャネイロ五輪の有力候補であることに変わりはない。本人も「どんな状態でもやりたかったが、この試練を乗り越えて選考を待ちたい」と、人事を尽くして天命を待つ構えだ。

 

 前日には右代のケガを知った所属先の後輩である中村からは無料通信アプリのLINEでメールが届いたという。「僕はオリンピックに出たい。一緒に頑張りましょう」。4歳下の後輩は自力でリオ行きの切符を掴みに行く。「2人で頑張ろうなというやり取りをしました」と右代は語る。近年、国内大会で常に優勝を争ってきたライバルとリオでの共闘を誓い合ったのだ。

 

 急遽、会見を開いて自らの言葉で報道陣に棄権の理由を明かした右代。その後は会場に詰めかけた観客にも事情を説明した。そして最後に「誰もが塗り替えられない記録を更新して、この場所に戻ってきたいです」と誓った。無念の王座陥落。だが、王者は最後まで毅然とした態度を貫いた。

 

(文・写真/杉浦泰介)