キロガ、クビヤス、そして超新星と期待されたウリベ。80年代のペルー代表を特集したYouTubeを見ていたら、監督が「DT」と表記されていた。

 

 DT。ディレクトール。日本語に訳すと、指揮者、指導者、映画や演劇の監督。言われてみれば、代表監督は映画監督とも似ている。作りたい作品があり、そのために役者を選ぶ。基本、役者は選ばれる側。ただ、役者も大物になれば、発言力を持ってくる。黒澤明監督が「影武者」を制作している時には、主演の勝新太郎が噛み付き、両者は激しく対立。結局、撮影途中に主役が交代するという異例の事態にまで発展した。

 

 ラグビー界でも9年前、日本人として初めてスーパーリーグでプレーしていた日本代表の田中史朗が「エディーのやっているハードな練習は本当に意味があるのか」と発言し、監督批判だと騒ぎになったことがある。

 

 田中としては、批判というよりは、選手が意味を理解しないでしている練習には意味がない、という趣旨からの発言だったが、当時の監督、エディー・ジョーンズは激怒して田中を呼び出した。

 

 両者の“直接対決”は、田中が発言の意図を説明し、エディーがそれを理解したことで一件落着した。ただ、監督は最後に、こう付け加えたという。

 

「今後はメディアではなく、直接俺に言ってくれ」

 

 W杯アジア2次予選、北朝鮮戦に向けたメンバーが発表される。一試合ごとに顔ぶれが入れ替わる予選のメンバーに、本大会ほどの重みはない。ただ、今回に限っては、ドキドキしながら発表を待っている。

 

 守田英正は選ばれるのか。

 

 アジアカップの敗退直後、彼は「もっといろいろ指示してほしい」と訴えた。本人としては、日本代表をより強くしていくための踏み込んだ発言だったのだろう。だが、森保監督、あるいは他のコーチングスタッフからすれば、これは自分たちに対する明確な批判でもある。

 

 もし今回の選考で守田を外せば、選ぶ側への批判は一気に高まることが予想される。とはいえ、何事もなかったかのように招集すれば、それは日本代表では首脳陣批判をしてもお咎めなし、という前例を作ることにもつながってしまう。以前に比べれば、日本でも監督と選手の関係はずいぶんと水平に近づいてきたとはいえ、選手が監督を尊重しなくてもいい、というわけでは断じてない。

 

 つまり、選んでも選ばなくても、越えなければならない茨の道が待っている。

 

 自分だったらどうするか。迷いに迷った末、選ぶ。平壌という場所、北朝鮮という相手を考えた場合、守田のような戦える選手の存在は大きい。覚悟の発言をした以上、出来が悪ければ自分に火の粉が降りかかることも守田は想像しているはず。ならば、その気持ちの強さにも期待する。

 

 ただし、直接話す。

 

 エディー・ジョーンズの例を出すまでもなく、自分に対する批判をメディアから知らされることは、ほとんどの指揮官にとって容認できることではない。そのことを知らないはずもない守田は、なぜ踏み込んだのか。踏み込んだ先の、守田が求めている結論が、監督として認めうるものなのかを確認する。

 

 返答次第では、泣いて馬謖を切る。

 

 いずれにせよ、メンバー発表に際しては、協会、もしくは森保監督から守田についての言葉が聞きたい。一触触れずにスルーするのは、短期的に見ても長期的に見ても、悪手というしかない。

 

<この原稿は24年3月14日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>


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