NPBもアイランドリーグも開幕から2週間が過ぎた。今季、リーグからは過去最多の7名が新たにNPBの門をくぐり、計23選手の出身選手のうち、現在、金無英(福岡ソフトバンク)、角中勝也(千葉ロッテ)の2名が1軍に出場選手登録されている。リーグの行方ともに、彼らの動向も気になるところだ。今回は福岡ソフトバンクを戦力外になった後、福岡レッドワーブラーズを経て、日本の独立リーグでは初めてNPB復帰を果たしたロッテ・(山田)秋親の今を追った。
 再び輝くマウンドへ――秋親

 昨オフ、2度目の“クビ”を覚悟した。

 NPBに復帰した2010年、秋親は右の中継ぎとして28試合に登板した。5月13日の横浜戦では1点ビハインドの場面でマウンドに上がり、味方が直後に逆転して勝ち投手になった。秋親にとっては、セットアッパーとして活躍していたダイエー時代の04年以来、実に6年ぶりの勝利の味だった。この年、ロッテはリーグ3位ながらクライマックスシリーズ、日本シリーズを勝ち抜き、“下克上”を達成する。秋親も登板機会はなかったものの、日本シリーズではベンチ入りを果たした。

 ところが、さらなる飛躍を誓った昨年、アクシデントが襲う。1軍メンバーにも選ばれた石垣島キャンプで腰を痛めてしまったのだ。ボールを投げることはもちろん、走ったりするだけで腰にズシリと重みを感じ、思うように動けなくなった。
「はっきりした原因も分からず、思いのほか時間がかかってしまいました」
 5月までブルペンにも入れず、完全に出遅れた。それでも夏場には調子を上げ、2軍では31試合に登板する。ところがチームの1軍成績は低迷。来季を見据えて若手を優先して起用するなかで、33歳の右腕に1軍昇格のチャンスはなかった。いや、もっと言えば1軍に上がる雰囲気すら感じられなかった。

「また戦力外かもしれないな……」
 シーズンを終えて、真っ先に“クビ”の2文字が頭をよぎった。1軍出場はゼロ。ソフトバンクで一度、戦力外を経験している身だけに不安は日に日に増していった。通常、戦力外を通告される選手は、10月初旬に球団から呼び出しがかかる。ソフトバンクの時も、そうだった。この時期は電話の着信音が鳴るのが怖かった。

“恐怖の期間”を過ぎ、宮崎フェニックスリーグのメンバーに選ばれると知った時は、心底ホッとした。
「これで、なんとか大丈夫かなって思いましたね」
 宮崎ではアイランドリーグ選抜チームとも対戦した。当時、所属していた福岡のチームは活動休止し、今や知っている選手もほとんどいない。しかし、NPBを目指して必死に戦う若者の姿に「福岡での気持ちを忘れちゃいけない」と再び心が奮い立った。

 振り返れば3年前もアイランドリーグの選手に勇気をもらった。秋親が福岡レッドワーブラーズにやってきた09年、まさに彼の野球人生はどん底にあった。前年オフに故障もあってソフトバンクを戦力外になり、現役を諦めきれず、復活への望みと託して右肩関節唇の手術を受けた。福岡の練習に参加するようになったのは、リハビリをしようにもキャッチボールの相手がいなかったからだ。

 リハビリを始めてしばらくは肩の状態が一進一退で、「これで治るのか」と絶望的な気分に陥ったこともある。しかし、野球にひたむきに取り組む若い選手たちと一緒に汗を流すなかで、「僕も野球が好きなんだ」という気持ちをあらためて確認できた。そして、「NPB復帰」という目標を見失うことなく、1年間頑張り抜けた。
「もし1人でリハビリを続けていたら、NPBには戻れなかったかもしれません」
 ロッテ入りが決まった時、秋親はそう語っていた。

 今季こそ背水の陣――。「野球をやれるのは、あと数年。もう、ここからはとことんやろう」と昨オフはほぼ無休でトレーニングを行った。手術した右肩の状態は極めて良好で、現在はまったく痛みがない。
「昔、肩が痛かったのが不思議なくらい、今は平気です。手術してピッチングもだましだましになるだろうなと覚悟していたのですが、真っすぐのスピードやキレも落ちていませんね」
 
 2軍では今季ここまで5試合に登板。「調子に乗って、真っすぐで勝負しすぎて打たれている」と苦笑いするが、三振は投球イニング数を上回る数を奪っている。
「今年はいけるという手応えがあります」
 まだ2年ぶりの1軍昇格には手が届いていないものの、その表情は明るい。 
 
 若い頃はストレートでグイグイ押してバッターを黙らせるタイプだった。しかし、30代になって経験を積み、スタイルは変わりつつある。緩急をうまく使って、打たせて取るピッチングもできるようになってきた。
「ソフトバンク時代にコーチから言われてきたことが今になって分かってきました。ただ力任せに投げるのではなく、1球1球、大切に投げるようになりましたね。ちょっとは大人になったのかなと思います(笑)」

 今年は4年に1度の五輪イヤー。五輪に向けたスポーツニュースを見聞きするたびに、12年前のシドニーの記憶がよみがえる。この時、立命館大4年の秋親は大学球界No.1右腕として日の丸を背負って戦った。
「五輪は憧れの舞台でした。いざ先発で投げるとなった時に、この姿を全世界の人が見ているかもしれないと思って、前の日は眠れなかったことを思い出します」
 秋親は予選リーグのキューバ戦に先発するなど、3試合に登板。残念ながらメダルは持って帰れなかったが、史上初のプロアマ合同チームで貴重な体験をした。
 
 当時の代表には、プロからやってきた中村紀洋(近鉄、現横浜DeNA)、松中信彦(ダイエー、現ソフトバンク)に、大学、社会人野球でプレーしていた渡辺俊介(新日鐵君津、現ロッテ)、石川雅規(青山学院大、現東京ヤクルト)、杉内俊哉(三菱重工長崎、現巨人)、阿部慎之助(中央大、現巨人)、廣瀬純(法政大、現広島)ら、今も1軍の主力で働いている選手が少なくない。

「まだ慎之助とは1軍の公式戦では対戦したことがないので、ぜひ投げてみたいですね。そして最後は日本シリーズで投げて、もう1回、ビールかけをやりたい」
 もう1度、1軍へ、そして、あのシドニーを思い出すしびれるマウンドへ――。若いピッチャーと比べれば、チャンスはそうたくさん巡ってはこないだろう。しかし、わずかな機会を絶対に逃さない。野球人生のすべてを賭けて、秋親はきらめく舞台にきっと戻ってくる。


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(石田洋之)