160630四人のショット二宮清純: アリの功績はボクシングだけにとどまりません。フォーク・ヒーロー(民衆の英雄)として社会に多大な影響を与えました。

 

金平桂一郎: アリが亡くなったと連絡を受けた時に、彼の偉大さを痛感しました。人間は亡くなった時に初めて評価が決まるとよく言われますが、「アリのおかげで今のボクシング界があるんだ」と改めて思いました。

 

金子達仁: 素行の悪いチャンピオンがいても、ボクシングがキング・オブ・スポーツと胸を張ることができたのは、民衆のために国家と闘うアリがいてくれたからです。

 

金平: そうです。だから我々も「アリの立ち居振る舞い、あれこそがボクサーなんだ」と言えたのです。ボクシング界はアリという支えを失ってしまいました。

 

二宮: 個人的にはサッカー界のペレ、ボクシング界のアリ、バスケットボール界のマイケル・ジョーダンがスポーツの3大ヒーローだと思います。ただ3人の中で国家や社会とも闘ったのはアリだけでした。

 

金子: 僕のイメージでは、ペレはスターで、アリはカリスマですね。スターは僕らが見て憧れるだけで、何も影響は受けない。カリスマは触れていく人を変えていくイメージでしょうか。触れるもの全てを黄金に変えてしまうギリシャ神話の「ミダース王の手の“Midas touch”」に似ているなと思います。アリの場合は触れるもの全てを笑顔に変えてしまう。

 

二宮: それは面白い。アリは人種差別と闘って「ベトコンはオレをニガーと呼ばない」と発言し、ベトナム戦争への徴兵を拒否しました。アリの発言は短いセンテンスでも説得力があります。

 

金子: アリの現役時代にツイッターがあったら、と思うと興味深いですね。ショートセンテンスの達人ですから(笑)

 

金平: バラク・オバマ大統領が「今、自分がここにいるのはモハメド・アリのおかげだ」というのは頷けますよね。オバマ大統領の部屋にはアリの写真があると聞ききます。

 

二宮: 1965年5月、アリが初防衛戦でソニー・リストンと再戦して勝利した時の写真ですね。人種差別とも闘った黒人(アリ)と、ただ強いだけの黒人(リストン)。その写真をオバマ大統領が飾っているということに意味がある気がします。アリは権力を敵に回しても信念を貫いた。

 

金平: 信念を貫いて、社会、歴史そのものを動かしました。ボクシングという枠に収まらず、歴史観、人種などの価値観をも変えた。アメリカ社会もアリ以前、アリ以降で線引きができると思うんです。

 

真のエンターテイナー

 

二宮: アリのことは誰もコントロールできなかった。しかも、それでいてアリは愛された。ヒール役であり、ヒーローでもある稀有な存在でした。2015年9月に引退したフロイド・メイウェザー・ジュニアは、現役時代49戦全勝でしたが、世間一般にまで影響を与えたとは思えない。

 

金子: ボクシングマニアにとっては、「初めて無敗で5階級を制した」など記録的にはすごいのかもしれませんが、普通のファンにとっては……。

 

二宮: そうなんです。メイウェザーは49勝中26KOですから判定勝ちが多い。彼のボクシングスタイルはポイントを稼ぐ“タッチボクシング”だと指摘されている。

 

金平: メイウェザーのディフェンスは確かにハイレベルですが、派手さに欠ける。「一般の方が見ていて、ボクシングファンが増えるのかな?」と思います。一方、アリは“ここぞ”の時は勝負にいきますよね。

 

二宮: 川島さんもスタイル的にはヒットアンドアウェーで、勝負に行く時は積極的に仕掛けていきました。それはやはりお客さんのためという意識もあったのでしょうか?

 

160801金平会長と先生(加工済み)川島郭志: はい。もちろんそれもあります。あとは“倒したい”というボクサーの本能でしょうね。

 

金平: やはりプロ意識ですよね。せっかくお客さんは高いお金を払って会場に観戦に来ているんですから。

 

金子: 川島さんは、ダウンを奪った時に、相手を真上から見降ろしてガッツポーズをやろうとは思わなかったですか?

 

川島: 相手に対して「この野郎」という気持ちがあって自然に出てしまうことはありました。“パフォーマンスでガッツポーズをやってやろう”などとは思わなかったです。もし、アリが演技でガッツポーズをしていたのなら、かなり余裕があったんだと思います。

 

二宮: アリはボクシングの試合だけでなく、様々な場面で人々を喜ばせました。アトランタ五輪の時は神経変性疾患のパーキンソン病を患いながら聖火ランナーとして公の場に姿を見せてくれました。

 

川島: どこまでも人を喜ばせようとするエンターテイナーですよね。

 

金平: 「失敗したらどうしよう」とかは考えない。自分が聖火台に立つことによってみんなが喜ぶだろうと、アリは自らの姿勢を貫き通したんですよね。

 

二宮: 1976年6月にはプロレスラーのアントニオ猪木さんとも闘いました。

 

金子: 異種格闘技戦という、すごくエポックメイキングな試合でした。しかし、アリ個人にとって何のプラスがあったんだろう……と僕は思ってしまう。

 

二宮: アリは来る者拒まずですからね。実は猪木さんとの試合後には、ケン・ノートンとの防衛戦が決まっていた。ケガをするわけにはいかない状況なのに猪木さんと対戦した。プロレスに対しても偏見がなかったのでしょうね。

 

金平: その後も律儀に猪木さんと友達付き合いを続けます。“いつそんなに仲良くなったの?”と思うくらい(笑)。人懐こさと言いますか、他人に対して“なんなんだ、こいつは”という態度がアリからは一切感じられない。

 

もし、3年7カ月のブランクがなかったら?

 

金子: アリはベトナム戦争への徴兵拒否の問題で3年7カ月ほどリングから遠ざかってしまう。その復帰戦で負けますよね。もし、ブランクなしで負けていたら、アリはその挫折を乗り越えられたのか……。

 

金平: 僕は乗り越えることができたと思います。ただ、歴史に「たら、れば」はないのですが……。

 

二宮: 今の金子さんの仮説はすごく興味深いですね。もし3年7カ月のブランクがなければ、アリはどうなっていたのか。

 

金子: 果たしてここまでのカリスマになっていたのか……。

 

金平: 単なるスターで終わっていたと思います。神やカリスマとまでは言われなかったかもしれない。

 

160801金子さん、川島さん(加工済み)川島: ボクサーの目線で言わせてもらえれば、ブランクでスピードというボクサーにとって一番大事なものを失いましたね。

 

金子: ブランクがあって、スピードを失っても信念を曲げなかったというのが彼の物語のバックボーンになっています。これがなければ、先ほど名前が出てきたメイウェザーのようになっていたかもしれないですね。

 

二宮: ないとは言えないでしょうね。

 

金平: たくさん防衛をして、お金も稼いで偉大なボクサーでした、くらいで終わってしまっていたでしょうね。

 

二宮: あのブランクがなければ、アリは完璧なボクサーでした。それでも復帰後は知恵と経験を活かして、失ったスピードを補いました。その集大成が“キンシャサの奇跡”だったと思います。

 

金平: キンシャサでジョージ・フォアマンに勝ってから、WBA・WBC世界ヘビー級を10度防衛したこともすごい。

 

二宮: アリはリングから離れても社会というリングで闘い、病魔とも闘った。いついかなる時もアリはアリでしたね。

 

(おわり)

 

160701金子さんプロフ(加工済み)金子達仁 1966年1月26日生まれ、神奈川県出身。スポーツライターとして「28年目のハーフタイム(文藝春秋)」「惨敗二〇〇二年への序曲(幻冬舎)」など著書多数。

 

 

 

 

 

 

 

160701金平さんプロフ(加工済み)金平桂一郎 1965年11月3日生まれ、東京出身。協栄ボクシングジム創始者である金平正紀の長男。1999年に協栄ボクシングジムの会長職に就く。

 

 

 

 

 

 

 

160701川島さんプロフ(加工済み)川島郭志 1970年3月27日生まれ、徳島県出身。元WBC世界スーパーフライ級王者。6度の防衛に成功した。現在は川島ボクシングジム会長。

 

 

 

 

 

 

(写真・構成/大木雄貴)