「江夏の21球」は本当は14球で終わっていた!? 日本野球の歴史を覆す12の新事実を発掘!
 月刊「文藝春秋」で反響を呼んだ特別連載を待望の新書化。これまで語られることのなかった球界秘話が次々と明かされます。かつて日本のプロ野球では、かくも熱いドラマが繰り広げられていた――。秋の夜長に野球ファンへオススメの一冊です。
 二宮清純メッセージ

 本書は『文藝春秋』で2011年6月号から12年5月号にかけて連載したものを、新たに加筆して一冊にまとめたものである。連載を始めるきっかけは、09年に他界した三村敏之さん(元広島監督)の一言だった。
「……その話は墓場まで持って行こうと思うとるんですよ。その前に1回、西本(幸雄)さんに謝らんといかんでしょうが……」

 ポツリとそう漏らしたきり三村さんは口をつぐんだが、言い残したことがあるのか、何度も私の目を見ては複雑な笑みを浮かべた。詳しくは第1幕の「江夏の21球は14球のはずだった」で述べるが、79年の広島と近鉄との日本シリーズ第7戦、4対3と1点のリードで迎えた9回裏、無死満塁のピンチで、近鉄・佐々木恭介さんが広島のクローザー江夏豊さんから放った打球はサードを守っていた三村さんの頭上をワンバウンドで越えた。

 もし佐々木さんの打球がジャンプした三村さんのグラブをかすめていたら、近鉄が劇的なサヨナラ勝ちを収め、初の日本一を達成したことになる。しかし、無情にも佐々木さんの打球はファールと判定され、近鉄に勝利の女神は微笑まなかった。このシーンを目のあたりにした私は、野球における運不運とは紙一重のものだと思わざるを得なかった。

 それだけに、三村さんの“28年目の告白”はショックだった。少々、大げさに言えばハンマーで脳天をかち割られるような衝撃を受けた。
「そんなことがあっていいのか……」
 言葉にすれば、そんな心境だった。

 一度、場をかえて、三村さんから詳しく話を聞こうと思っていた。もう時効だからお話してもらえないかと……。程なくして三村さんが深刻な病に冒されているという話が耳に入った。もうその時には、とても話を聞けるような状態ではなかった。結局、三村さんはこの話を本当に墓場まで持っていってしまった。

 墓場荒らしは私の趣味ではない。しかし、どうしても真実が知りたかった。

(まえがき、より抜粋)

『プロ野球「衝撃の昭和史」』

〇江夏の21球は14球のはずだった
 球史に残る日本シリーズ「広島vs.近鉄」封印された真実
〇沢村栄治、戦場に消えた巨人への恩讐
「温厚だった父が“許せない”と……」ひとり娘が語り始めた
〇天覧試合、広岡が演出した長嶋の本塁打
 8回表1死二、三塁。絶体絶命のピンチに仕掛けられたトリック
〇初めて明かされる「大杉のホームランの真相」
「100%ファウルだった」78年日本シリーズ1時間19分中断の舞台裏
〇江川の投じた最速の1球
「100マイル出ていた」怪物が渾身のボールを投げられたわけ
〇宿敵阪急を破った野村野球の原点
 73年プレーオフで魅せた“弱者は敗者に非ず”の真骨頂
〇遺恨試合オリオンズvs.ライオンズ、カネやん大乱闘の仕掛け人
 貧乏球団はなりふりかまわぬ観客動員アップ作戦を決行した
〇落合博満に打撃の師匠がいた
 見て盗んだ“オレ流”バッティングの原点
〇ジャイアント馬場は好投手だった
 巨人の星を目指した若者がたどった数奇な運命
〇打倒王貞治「背面投げ」の誕生
「角度を変えて投げる」バッテリーが編み出した秘策は通用したか
〇3連勝4連敗、近鉄加藤「巨人はロッテより弱い」発言の真相
「発言に後悔はしていませんが……」“猛牛”を襲った負の連鎖
〇「清原バット投げ事件」の伏線
「インコース攻めで、ぶつけられてばかり」清原は先輩に弱音を漏らしていた

(文春新書/定価:750円+税/二宮清純著)
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