四半世紀ぶりのリーグ優勝に向け、競泳で言えば、あと一かき、二かきの広島カープ。ゴールは目前だ。

 

 カープファンの中には、今シーズンを41年前のシーズンと重ねる向きが少なくない。球団創設26年目の悲願達成――。待たされた分だけ、こみ上げる思いもまた強いというわけだ。

 

 1975年10月15日。東京・後楽園球場。試合は淡々と進み、9回表へ。スコアは広島の1対0。2死一、二塁の場面で打席には3番ゲイル・ホプキンス。巨人のマウンドには左腕の高橋一三。フルカウントから放たれた打球は快音を発してライトスタンドへ。事実上の優勝を決める3ラン。ネクストバッターズサークルにいた山本浩二はバットを放り投げて万歳した。広島中が泣き、叫び、放心した歴史的瞬間だ。

 

 だが今回、書き記しておきたいのはホプキンスの伝説のホームランではない。ホプキンスの前の前の打者、大下剛史の「歴史を変えた」セーフティーバントについてである。

 

「あの指示は、私の長い監督生活の中でも会心のものです」。当時の監督、古葉竹識は、つい昨日のことのように、このシーンについて振り返る。「場面は1死一塁。ファーストのワンちゃん(王貞治)は併殺を狙っていたんでしょう。普段より後ろに守備位置をとっていた。そこで僕は目で大下に“ファーストの前に転がせ!”と合図したんです」

 

 大下にも話を聞いた。「ピッチャーは倉田誠から代わったサイドスローの小川邦和。サードコーチャーズボックスに入っていた古葉さんからバントのサインが出た。おかしいなと思ったよ。だって一塁ランナーはピッチャーの金城基泰やから。よく見ると古葉さんの視線がファーストを向いている。ほいじゃ、やってみるか。当時の後楽園の内野は芝生やったから、一塁側のええところに転がったよ。結局、内野安打。あれがホプキンスのホームランの呼び水となったんやな」

 

 大技の前の小技。修羅場のアイコンタクト。巨人の意表を突く大下のセーフティーバントこそは古葉野球の真骨頂だった。広島を4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた名将は噛み締めるように言った。「あのシーンだけは忘れられない。これまで見た中で一番のバント。いや歴史を変えたバントと言っても過言ではないでしょう」。広島を追う中日は、振り向けば、すぐ後ろにいた。語り継ぎたい赤ヘル初V秘話である。

 

<この原稿は16年9月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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