原田裕花(元バスケットボール女子日本代表)<前編>「”アカツキ5”の奮闘に感動」
二宮: 今日は元バスケットボール女子日本代表の原田裕花さんをお迎えしました。この夏のリオ五輪では、後輩たちが活躍してくれましたね。
原田: 久しぶりにテレビの前で熱くなる試合ばかりでした。
二宮: では、そば焼酎「雲海」のソーダ割り「そばソーダ」を飲みながら、熱く振り返っていただきましょう。
原田: 普段は甘いお酒を飲むことが多いのですが、「そばソーダ」はすっきりとしていて、何杯でもおいしく飲めそうです。
二宮: さわやかな飲み口の「そばソーダ」は料理の味を邪魔しないと評判です。
原田: 香りもいいし、ソーダの炭酸が口の中をさっぱりとしてくれるから、天ぷらみたいな揚げ物もよりおいしくいただけますね(天ぷらを口に運びながら)。
メダルも狙えた実力
二宮: バスケットボール女子日本代表はアテネ五輪以来、12年ぶりの出場でした。予選ラウンドを突破して、最後は準々決勝でアメリカに敗れましたが大健闘でしたね。
原田: そうですね。私もOGとして世界の強豪を相手に戦う日本人選手にワクワク、ドキドキさせられました。予選からずっとテレビを見ていましたが「あれ、なかなかやるな」「すごいじゃん」「もしかしたらアメリカに勝つかもしれない」なんてどんどん盛り上がっていって、そういう気持ちになれたのが久しぶりで、それが嬉しかったですね。
二宮: 準々決勝でアメリカに64対110で敗れましたが、実力的にはベスト4以上、メダルも見えていたんじゃないでしょうか。
原田: その可能性は大いにあったと思います。不運だったのは予選A組3位以上で通過できていれば、アメリカといきなり当たることもなかったんですが……。
二宮: 得失点差でフランス、トルコを上回ったものの、直接対決の戦績でA組4位でしたからね。とはいっても予選で3勝2敗。世界ランキング4位のフランスを相手に79対71で勝利し、同2位のオーストラリア戦でも残り3分までリードする善戦を見せました。アカツキファイブの名前を世界に轟かせましたね。
原田: 選手たちは常に「メダルを取るんだ」という気持ちがあって、そしてそれを口にし続けていました。本当に強かったですね。
二宮: 原田さんもアトランタ五輪(1996年)に出場して7位でしたが、そのときのチームと比較していかがですか。
原田: 私たちも決勝トーナメントに進んで、アメリカと対戦しましたが、意識レベルは今の選手の方が上です。本当にメダルを目指している、戦っているチームだと感じました。
二宮: 日本のスタイルは当時と比べて変化しているんでしょうか?
原田: 基本的に日本女子のプレースタイルは変わっていません。武器にするのはスピードと3ポイントシュートです。ただ今の代表は長身(193cm)の渡嘉敷来夢選手(WNBAシアトル)がいる。これが大きいですね。
二宮: 渡嘉敷選手クラスの長身プレーヤーは日本にはいませんでしたね。
原田: センターレベルの身長で、フォワードのようなスピードがある。彼女みたいなタイプは貴重な存在です。スピード、パワー、そして高さで世界に対抗できるのが大きいですね。また彼女がいることと同時に、強豪国との国際試合の機会も増えたので他の選手も海外の長身の選手に対して苦手意識がない。自分たちの時代は、まだその部分で苦手というか怖さがありました。
二宮: 司令塔の吉田亜沙美選手(JX-ENEOS)はいかがでしょう?
原田: 彼女は165cmと身長はそう大きくないんですががっちりとした体で、パワーとスピードがあります。あとはタイミングというか隙の突き方が誰よりもうまい。さらにリオ五輪では勝負どころの得点力がついてきたなという印象を受けました。それはアジア選手権(兼リオ五輪アジア予選)のときもそうだったんですが、勝ちを自分で引き寄せるんだという、プライドというか責任感の強さが感じられましたね。
二宮: アジア選手権では決勝で中国を相手に85対50で勝ちましたからね。
原田: 中国には13年のアジア選手権で勝っていますが、昨年の大会は開催地が中国でした。実力はほぼ互角ですが、完全アウェーということで厳しい戦いも予想されました。でもゲームが始まってみるとこれはもういけるなという勢いや強さを感じましたね。
二宮: 東京オリンピックに向けて、いい流れが来ていますね。
原田: 日本代表は参加国の中で一番若いチームだったんですよ。若い選手が大舞台を経験して、それだけではなく十分な結果を残して手応えをつかんだ。これは日本にとって貴重な財産になると思います。これまでモントリオール、アトランタ、アテネ、リオと出場していますが、連続出場はないんですね。だから東京で連続出場を果たせば、今回以上の結果が残せると思っています。
二宮: 継続は力なりですね。男子もプロバスケットボールBリーグが始まります。女子代表のリオの好結果に続いて話題が多く、この後もバスケットボールに注目が集まりそうです。
原田: 将来を担うジュニア世代のためにも、トップクラスが強くなってもっと注目を集めてほしいと思います。
初めて受けた世界の洗礼
二宮: ここからは原田さんとバスケットボールの出会いについてうかがいましょう。バスケを始めたのはいつからですか。
原田: 最初は小学生のときにミニバスケットから始めて、それで中学からバスケ部に入りました。祖父が陸上競技をやっててすごく足が速かったと聞いていて、その遺伝なのか運動神経はよかったみたいです。中学入学時に陸上部の先生に声をかけられて仮入部もしましたけど……。
二宮: アトランタには陸上選手として出てたかもしれませんね。
原田: いやいや(笑)。小学校ではマラソン1位、リレーではアンカーでしたが中学でいけてたかっていうと……。バスケットでよかったのかなと思っています。それで高校は大分の日田商業(現・藤蔭高校)、当時は全国3位になった学校にスカウトされました。
二宮: では中学時代に全国大会の経験が?
原田: いや全国の経験はありませんでしたが、当時、日田商のキャプテンだった方が同じ山口県出身で「山口にこういう選手がいます」と先生に伝えて見に来てくれたんですよ。県内の高校からも声をかけられていましたが、それを振り切る形での大分行き。これは結果を出さないといけないな、と中学生ながら思いましたね。
二宮: 親元を離れてバスケ留学、その頃からオリンピックという夢はあったんですか?
原田: まったくありませんでした。女子バスケ自体が私たちの出たアトランタで20年ぶりの出場でしたから。上でやりたいどころか、実業団も知らないレベルでした。
二宮: 高校時代にタイトルは?
原田: これも無縁でしたね。先輩たちは国体3位でしたけど、その後は全国で3回戦にいけたらすごくいい方。私のときは全国では1回戦負けばかりでした。
二宮: そういう状況の中で、上のレベルでやろうと意識したきっかけは何だったんですか。
原田: 高校3年のときにジュニアのナショナルメンバーに選ばれて、初めて国際試合を経験してからです。それまで全国の優勝を争うチームが身近になかったから、みんなすごい人に見えました。でも一緒にやっていくうちに、もしかしたら自分もできるかもという思いが湧いてきたんですね。
二宮: 国際試合はどこで行われたんですか?
原田: フィリピンのマニラでした。そのときに初めて2m4cmの中国の選手を見て、カルチャーショックを受けたのを覚えています。
二宮: 日本の高校生の女子選手なら高くても180cm台ですよね。
原田: そうですね。なんかそういう身長の選手がいること自体が想像できなくて、高さもそうだし幅もすごかった。世界というのはこういう選手とやるんだなあ、と。
二宮: 初めて受けた世界の洗礼ですね。
原田: はい。でもそこからですね、上のレベルでバスケをやってみたいと思ったのは。
二宮: 実業団は共同石油(のちにジャパンエナジー、現JX-ENEOS)に入りました。当時はシャンソンと2強時代ですね。
原田: はい。卒業後の進路として両方から誘われていたんですが、どちらかというと私はパワフルにプレーするタイプじゃなかったんですよ。それで共同石油は中村和雄監督の下でパワフルなスタイルでした。周囲は「(原田は)シャンソンかどこか違う所に進むんじゃないか」と言ってたんですが、結局、共同石油に決めました。
二宮: 進路決定の決め手になったのは?
原田: パワフルで情熱的な監督の下でやりたいという思いがあったのと、その方が自分のためになるのかなと考えたからですね。
二宮: 入団1年目の87年に日本リーグ優勝を経験して、原田さんは新人王を獲得しています。その後も日本リーグやオールジャパンで優勝を経験されていますが、バスケットボールではビールかけやシャンパンシャワーの習慣はあるんですか?
原田: いや、乾杯くらいですね。実業団時代は禁酒でしたし、もっぱら食べる方に重点を置いていました。
二宮: お酒を飲むのは引退後からですか?
原田: そうですね。とはいえお酒に強くはないので、夫や友人などたくさん飲める人がうらやましいです。
二宮: ところで、ご主人はスポーツ選手?
原田: いえ、ミュージシャンでドラムを叩いています。
二宮: ドラマー!? スポーツ選手とミュージシャンというのは新鮮な組み合わせですね。
原田: まあ、なんだか不思議な縁がありまして、5年前に結婚しました。
二宮: ご主人もバスケットボールは好きなんですか?
原田: 部活でやってて、バスケに限らずスポーツ全般が大好きですね。漫画のスラムダンクは全巻揃ってますし、NBAはテレビで見ていて、場合によっては私より詳しいところがあったり、「そういう見方もあるのか」と新鮮に感じる部分もあります。
二宮: NBAをテレビで見ながら一緒に飲んだりすることも?
原田: はい。今年のファイナルもずっと見てました。2人でチビチビと飲みながら、わいわいと。
二宮: そういうときには原田さんの得意料理やおつまみがテーブルに並ぶんですか?
原田: 私は料理がそんなに得意じゃないんです。むしろ主人の方が得意だったりして(笑)。最近は2人で台所に立つことが多いですね。私が下準備をして、調理や味付けが主人の担当ということが多いですね。
二宮: サポート役ですね。
原田: そうなんですよ。前に友達ともその話題になって、「彼と一緒に料理をするときには機転をきかせて、いろいろと先に先ってやれるように心がけているんだよね」と言ったら、「ああ、やっぱり台所でもアシストする側なんだね。ガードっていうポジションらしいね(笑)」って言われました。
二宮: なるほど(笑)。ガードはコートの司令塔と呼ばれるポジションですから、それが台所でも発揮されているわけですね。
原田: やっぱりそういう役が向いてるのかなあと(笑)。
二宮: オフの生活のことなど、まだまだ伺いたいことはたくさんあります。続けてグラスを傾けながらよろしくお願いします。
原田: 「そばソーダ」を薄めに作っていただいてますが、そば焼酎「雲海」の香りの良さが感じられます。次はもう少し濃いのをいただこうかな(笑)。
<後編につづく>
<原田裕花(はらだ・ゆか)プロフィール>
1968年6月5日、山口県生まれ。小学校3年でミニバスケットボールを始める。山口県周南市立富田中学校、日田商業(現・藤蔭高校/大分)を経て、86年、ジュニアナショナルに選ばれてアジア選手権3位。87年に共同石油(のちのジャパンエナジー、現JX-ENEOS)入社。87年日本リーグ優勝、新人王獲得。89年オールジャパン優勝、日本リーグ優勝。90年シンガポールアジア選手権3位、92年ソウルアジア選手権3位、オールジャパン準優勝。94年広島アジア大会2位。96年、アトランタオリンピック代表選手として7位入賞。小学校から日本代表まで、所属したすべてのチームでキャプテンを務めた。2度の膝靭帯断裂という大ケガにみまわれつつも見事復活しカムバック賞も受賞。現役引退後はバスケットボール教室で指導にあたるほか、スポーツ解説など、コメンテーターとして活躍中。
今回、原田さんと楽しんだお酒は本格そば焼酎「雲海」。厳選されたそばと、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎です。ソーダで割ることで華やかな甘い香りが際立ちます。
提供/雲海酒造株式会社
<対談協力>
武蔵野うどん じんこ 四ッ谷店
東京都新宿区四谷1-23-8
TEL: 03-5357-7539
営業時間: ランチ/11時30分~15時、ディナー/17時~24時
定休日: 日曜・祝日
原田さんの直筆サイン色紙を本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらより、本文の最初に「原田裕花さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は10月13日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
今回、原田裕花さんと楽しんだお酒の名前は?
お酒は20歳になってから。
お酒は楽しく適量を。
飲酒運転は絶対にやめましょう。
妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。