原田裕花(元バスケットボール女子日本代表)<後編>「お酒もミュージシャンのノリに」
二宮: 原田さんのご主人がミュージシャンとは驚きました。アスリートとミュージシャン、意外な組み合わせですね。
原田: 最初は周囲にも驚かれました。
二宮: そば焼酎「雲海」のソーダ割り、そば焼酎「雲海」も組み合わせが絶妙でおいしいと評判なんですよ。
原田: 香りものどごしもよくて驚きました。
二宮: 原田さんご夫妻も絶妙の組み合わせでいい夫婦なんじゃないですか。
原田: そうだといいんですが(笑)
二宮: 「そばソーダ」は口の中をさっぱりするだけでなく、口を滑らかにする効果もあります。お二人のなれそめについて、いろいろと聞かせてください。
原田: お手柔らかにお願いします(笑)。
飲むなら朝まで!?
二宮: ミュージシャンのご主人と結婚すると、友人関係も大きく変わったんじゃないでしょうか。
原田: そうですね。まず主人が友人とお酒を飲むとなったら「朝まで」ってなるのに驚きました(笑)。
二宮: まあ”9時5時”のような働き方をしているミュージシャンはいませんよね(笑)。
原田: 主人と付き合い始めたころは、こちらは元々アスリート感覚ですから、そういうノリを理解するのに時間がかかりました。それと「体は大丈夫なのかな?」という心配もありました。でもそういう風にお酒を飲むことがエネルギーになるみたいですね。結婚してからお酒が身近な存在になりました。
二宮: ミュージシャン仲間と一緒に飲むと、原田さんのノリも変わったんじゃないですか。
原田: お酒を注いだり、作ったり。そういうことはまったくできなかったのができるようになりました。あとノリというか、主人と出会って変わったね、とは言われます。
二宮: それは、どんなところでしょう。
原田: 前は柔軟性に欠けるというか、これはこうだと決めつけるようなところもあったんです。それが主人と出会ってタイプの違う人と会うようになったからか、考え方が柔らかくなった気がしています。引退した当時は本当に視野が狭かったなあと思いますね。
二宮: 引退されたのは何歳のときですか。
原田: アトランタ五輪の後、28歳のときです。
二宮: アトランタは初めてのオリンピック、緊張はありませんでしたか?
原田: 初めてなのでどういう世界なのかまったく見えない部分があり、緊張はありました。でもコートに入ったら、それをあまり感じずに集中してプレーできました。もちろんミスもあったし、もっとできることはあったと思います。でもすごく前向きに常にプレーできたなと思ってます。
二宮: アトランタの前にはケガに悩まされていたんですよね。
原田: 本当に五輪に行けるかどうかわからないという状況でした。ただケガに苦しんでいた中で自分が純粋にバスケットボールが好きだっていうこと、そしてバスケットボールができることがどれだけ幸せなのかが再認識できて、それでオリンピックに行けたので、そういう意味では良かったですね。
二宮: では今回、同じようにケガに苦しんでいた日本代表・吉田亜沙美選手の気持ちも分かりますね。
原田: 彼女もケガをして一時期は辞めようと、いろいろな葛藤があったと聞いています。ただケガをして、それを乗り越えたことで得られたものも多いと思います。
二宮: 原田さんも吉田さんも、負傷したのは膝の靱帯ですか。
原田: 同じ膝の前十字靭帯ですね。私は実業団に入って2年目で左膝の靱帯を負傷して、そしてオリンピックの予選前に逆の右膝をやっちゃいました。
二宮: 大事な時期での痛い負傷でしたね。
原田: 予選前にドイツ遠征に行ったときでした。予選1カ月半くらい前だったんですが、その瞬間は「ああ、もう私はオリンピックは無理だな」と思いました。でもやってみないとわからないし、まだ可能性は残っていたのでチャレンジしようと手術を決断しました。
二宮: そこから治療とリハビリですよね。
原田: もういろいろな方に支えていただきました。手術後、なかなか回復せずに私として一番どん底のときにオリンピックの予選がありました。そのときにチームのみんなから「オリンピックの切符取ったよ」という報せがあって、それでもう1回頑張ろうとなりましたね。ただそのときは別の葛藤もありまして……。
二宮: 別の葛藤?
原田: 私が五輪メンバーに入ったら、予選メンバーの中で出られない選手も出てくるわけですよね。それが同期の子だったんです。ちょっと複雑な気持ちになりました。でも、その子もすごく理解してくれて「頑張っておいで」って言葉をもらいました。だから本当にアトランタ五輪は、いろんなことに感謝して、いろいろな思いを持って臨んだ大会でした。
二宮: それを含めて最高の舞台だった、と。
原田: そうですね。今もその同期の子とは仲良くしてて、バスケットボールと出会えて本当に良かったと思っています。
二宮: もう少しアトランタの話をうかがいます。最終結果は7位。準々決勝でアメリカと対戦して惜敗しました。地元アメリカ相手に善戦して、現地の反応はどうでしたか?
原田: 試合のときにはわかりませんでしたが、お客さんが総立ちだったんですよ。それでアメリカチームに拍手してると思ったら、なんか「ジャパン」とか聞こえるわけですよ。拍手も歓声も大きくて「よくやった」という雰囲気でしたね。
二宮: アトランタの翌年(97年)からアメリカで女子プロバスケットボール(WNBA)が始まりました。
原田: はい。それで日本人は萩原美樹子さんが行って、その後、大神雄子選手、そして今は渡嘉敷来夢選手と道がつながっているんですね。
二宮: 日本人にアメリカのプロリーグでやっている選手がいるのは心強いですよね。
原田: 心強い上に世界に対する苦手意識もなくなりますね。渡嘉敷選手は毎回、たくましくなって帰ってくるから、そういう意味でも日本代表にいい効果をもたらせていると思います。
二宮: 日本のバスケットボールにもいい流れですね。
原田: 2020年に向けてオリンピックでメダルの可能性が大きくなり、頑張ればプロにも行ける。そういう道筋があるのは、バスケットの底辺拡大にも役立つと思います。
二宮: 原田さんはアトランタを終えて、もうやり尽くしたという感じで、引退を決められたんでしょうか。
原田: 帰国後にランニングをしたときに、どうしても膝の痛みが取れなかったんです。あとやり切ったという達成感もあったので、そこで決めました。
二宮: 引退後はインストラクターや講演などでバスケットの普及や底辺拡大を?
原田: 指導者、コーチということではなく、小学生や入門者を対象にして、この競技の楽しさを伝えています。
二宮: そういえば地元・山口では「原田裕花杯」という大会がありますよね。
原田: 現役のころからやっていて、もう20年近くになるんです。この前、大会で親子連れの方に声をかけられたんですよ。「親子二代で原田裕花杯出ました」って。
二宮: いや20年近く続けてると、そういうこともありますよね。
原田: 私も本当に驚きました。地元の人やスタッフの人に支えられてることもあり、長く続けられてますね。「裕花杯に出たいから頑張ってます」という子がいたり、そういう部分では根付いていてうれしく思います。
二宮: 今後は親子三代で出たという人も現れるでしょうね。
原田: そのためにも少しでも長く続けていきたいですね。それと去年くらいから高校生のチームにも指導に行き始めました。自分の経験で得たことを元にして、そのチームや選手に合ったアドバイスをしています。
二宮: 引退当初からそういう活動は計画されていたんですか。
原田: 当初は自分が向いているのかどうかも分からず、やれるチャンスをいただけたのでまずはチャレンジしてみようという気持ちで始めました。それでやっていくうちに子供たちと触れあうのが楽しくて、やりがいが出てきましたね。子供たちのバスケットボールを楽しそうにする姿を見られたり、初めてバスケットボールを体験する子に教えると、「もっとやってみたい」と言ってくれるようになる。そういうのはすごくうれしいですね。
二宮: 指導者冥利に尽きますね。
原田: はい。ただ優しく簡単に教える、わかりやすく、興味を持ってもらう。それは大変だと実感しています。たとえば小さい子にパスを教えるときには「マンガのドラゴンボールに出てくるカメハメ波のポーズで」と言うと、イメージが伝わるしやる気も出るみたいです。
二宮: バスケマンガのスラムダンクはどうですか?
原田: あのマンガには「リバウンドを制するものはバスケを制する」とかの名言がありますね。そういうのを使うとたしかに子供はすごく興味を持ちますね。
二宮: 世代を越えて愛読されているマンガなんですね。本を持っていたんですか?
原田: いや、主人の蔵書です(笑)。全巻そろっているんです。
二宮: さてまだまだ話題は尽きませんが、「お酒に弱い」と言いながら原田さんも今日は相当に飲んでますよ。
原田: 主人や友人たちと飲んでいて、少しは鍛えられたのかもしれません(笑)。主人と飲んでいると、パーっとテンション上がってニコニコしだして、そのうちに「何酔っぱらっとんねん」「なんやそのなんちゃって関西弁は!」とかってやりとりをしています。
二宮: お二人で楽しそうなお酒でいいですね。そういえばご主人は家で楽器の練習をすることもあるんですか?
原田: いや、ドラマーなので難しいですね。ただ練習用のパッドのような物があって、それを叩いたりしています。
二宮: 常に感覚を忘れないようにする、アスリートにも通じる部分がありますね。
原田: 私は常にボールに触ってないと、シュート練習をしていないと不安になるタイプでした。だからドラムに日々触れないでもやっている主人はすごいなと思います。どうやら感覚を大事にしているので、それで大丈夫なようです。
二宮: なるほど。そういえば原田さんは子供時代からずっとチームではキャプテンだったそうですね。しっかりしたイメージがあります。
原田: 小学校、中学校、高校、実業団、日本代表、とキャプテンでした。でもコートを離れると、結構のんびり屋なんですよ。チームで食事をするときにキャプテンが、「いただきます」と「ごちそうさま」の号令を出すんですが、でも私、食べるのが遅くて、いつも「ごちそうさま」の後、ひとりでずーっと食べてましたね。今日もまだこんなに残ってます……。
二宮: いやいや。体が資本のスポーツ選手はゆっくり、そして一杯食べるのも仕事です。そば焼酎「雲海」もまだたっぷりとありますよ。
原田: そうですね。「そばソーダ」は本当にすっきりしてるから、何を食べてもおいしく感じます。あと今日、私ってたくさん飲んでるかもしれません。
二宮: 今度はぜひご主人も一緒に。
原田: 主人とその友人たちなら、「そばソーダ」もロックでもなんでもこいですから、よろしくお願いします。
(おわり)
<原田裕花(はらだ・ゆか)プロフィール>
1968年6月5日、山口県生まれ。小学校3年でミニバスケットボールを始める。山口県周南市立富田中学校、日田商業(現・藤蔭高校/大分)を経て、86年、ジュニアナショナルに選ばれてアジア選手権3位。87年に共同石油(のちのジャパンエナジー、現JX-ENEOS)入社。87年日本リーグ優勝、新人王獲得。89年オールジャパン優勝、日本リーグ優勝。90年シンガポールアジア選手権3位、92年ソウルアジア選手権3位、オールジャパン準優勝。94年広島アジア大会2位。96年、アトランタオリンピック代表選手として7位入賞。小学校から日本代表まで、所属したすべてのチームでキャプテンを務めた。2度の膝靭帯断裂という大ケガにみまわれつつも見事復活しカムバック賞も受賞。現役引退後はバスケットボール教室で指導にあたるほか、スポーツ解説など、コメンテーターとして活躍中。
今回、原田さんと楽しんだお酒は本格そば焼酎「雲海」。厳選されたそばと、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎です。ソーダで割ることで華やかな甘い香りが際立ちます。
提供/雲海酒造株式会社
<対談協力>
武蔵野うどん じんこ 四ッ谷店
東京都新宿区四谷1-23-8
TEL: 03-5357-7539
営業時間: ランチ/11時30分~15時、ディナー/17時~24時
定休日: 日曜・祝日
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◎クイズ◎
今回、原田裕花さんと楽しんだお酒の名前は?
お酒は20歳になってから。
お酒は楽しく適量を。
飲酒運転は絶対にやめましょう。
妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。