元日本代表の司令塔で、日本代表(ジャパン)の監督を務めた平尾誠二氏が20日、死去した。63歳だった。京都府生まれの平尾氏は伏見工、同志社大学を経て、その後、神戸製鋼で活躍した。ポジションは主にスタンドオフ。大学時代は大学選手権3連覇に貢献、社会人時代は日本選手権7連覇という偉業を成し遂げた。ジャパンでは当時最年少の19歳4カ月で初キャップを刻み、通算35キャップを記録した。W杯には第1回から3大会連続で出場。現役引退後は第4回W杯で指揮を執るなど、指導者や役員として日本ラグビー界に尽力した。

 

 日本ラグビーフットボール協会の岡村正会長、日本サッカー協会の田嶋幸三会長がそれぞれの協会を通じ、哀悼の言葉を寄せた。

 

 日本ラグビーフットボール協会 岡村会長
「2019年のラグビーワールドカップ日本大会開催を前に、日本ラグビー界にとって大きな存在を失ってしまい、大変残念でなりません。これまでの多大なる功績を称えるとともに、謹んで哀悼の意を表します」

 

 日本サッカー協会 田嶋会長
「ラグビー界のみならず、スポーツ界の大きな星を失ってしまったという思いです。2019年ラグビーワールドカップ、2020年の東京オリンピックを控え、それぞれの大会で核となる人材だっただけに残念でなりません。彼も無念だったでしょう。
 日本サッカー協会の理事として、また、友人としても、いつも貴重な意見をいただきました。ご冥福をお祈りするとともに、彼の意志を継ぎ、ラグビーワールドカップ、東京オリンピックの成功に向けてスポーツ界が一丸となって努力し、成功させなければならないと思っています」

 

■平尾誠二氏関連記事「神戸製鋼vs.三洋電機」(1997年発行の『スポーツ名勝負物語』(講談社現代新書)に掲載されたものです

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