160628topics1二宮: 西崎選手は高校時代、レスリングをやっていたとお聞きしました。

西崎: はい。奈良県の添上高校で3年間やっていました。僕らの代は常に全国大会へ出場している強豪でしたね。大学の途中までレスリングは続けていましたが、その頃から体を鍛えるのは好きでしたね。

 

伊藤: 「筋肉が"育つ"のが楽しい」と伺ったこともあります。

西崎: そうですね。反応がわかりやすいところが好きです。見ていて面白いというか、トレーニングをしっかり積めば、明らかに自分が強くなっていることを実感できます。逆に練習を怠ったり、何も考えずにやっていたら成長しない。鍛えた結果が目に見えるのが魅力ですね。

 

二宮: 昔からウエイトトレーニングが好きだったんですね。就職をされてから、仕事中の交通事故が原因で障がいを負ったとお聞きしました。

西崎: 当時23歳だったのですが、運転中の事故で脊髄を損傷してしまいました。

 

伊藤: 受傷後、最初に始められた競技は車いす陸上だったとお聞きしました。どんなきっかけがあったのですか?

西崎: 事故から1年、2年後ぐらいに始めました。当時はリハビリというか、普段の生活でしっかり動けるようになりたいと思って、上半身を鍛えるためにベンチプレスを含めたウエイトトレーニングをやっていました。大阪府の長居にある障がい者スポーツセンターで体を動かしていました。そこのセンターにいたトレーナーに誘われて車いす陸上を始めました。

 

二宮:陸上競技でパラリンピック出場を目指したと。  

西崎: はい。僕がメインでやっていた種目は100メートルから1500メートルの短・中距離走でした。北京パラリンピックを目指していたのですが、ほとんどの種目でパラリンピックの派遣標準記録Aをクリアすることができなかった。パラリンピックの日本代表になるには派遣標準記録を突破し、日本ランキング上位3位以内に入らなければいけないのですが、僕が唯一派遣標準記録をクリアできた1500メートルでは日本で4番目。結局、1500メートルでもパラリンピックに出場することはできませんでした。

 

 見ることができなかった仲間の活躍

 

二宮:それが陸上をやめるきっかけになったんですか?

西崎: 次のロンドンを目指そうと思っていたのですが、その時に妻が子供を授かりました。当時は仕事を17時半までやった後に陸上の練習をしていたので、家に帰るのは22時ころでした。それでは子育てに参加できず子供の成長を見ることができないかも知れないと思い、それで一度競技をすっぱりと辞めました。

 

伊藤: そんな思いがあったのですね。その後、かつての仲間やライバルが活躍されている姿を見てどんな気持ちでしたか?

西崎: ロンドンパラリンピックはテレビで大会をほとんど見ませんでした。正直言うと、見ることができなかったですね。

 

二宮: 悔しくて、その姿を目にすることはできなかった?

西崎: はい。今でもそうですが、僕が一緒に練習をしていた人たちは世界の第一線で戦っていて、メダルを獲れるか獲れないかのところまでいっていました。その頃からパラリンピックがテレビやメディアで報じられることも少しずつ増えてきていたので、やっぱり目に触れる機会も多かった。自分から辞めようと思って競技を離れたのですが、"パラリンピックに出たい"という気持ちは残っていたので、そこで出ている選手を素直には応援できませんでした(笑)。だから極力見ないようにしていましたね。

 

伊藤: なるほど。そういった悔しい思いもあって、再びパラリンピックの舞台を目指すことにしたんですね?

西崎: はい。やはり自分の中でも納得することができず、"やり残した"という思いもありました。2013年9月に東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まって、現役復帰する気持ちを固めました。1番は、自分の子供にも父親が活躍をしているところを見せたかった。東京大会の頃には子供が8、9歳になるので、僕が何をしているかもわかってくる年齢になる。子供に自慢してもらえるような父親になるために「競技をパワーリフティングに変えて、もう一遍パラリンピックを目指そう」という思いを持ちました。

 

(第4回につづく)

 

1607ch西崎哲男(にしざき・てつお)プロフィール>
1977年4月26日、奈良県生まれ。交通事故で脊髄を損傷し、車いす生活に。その後、車いす陸上を始めると2006年の世界選手権に男子400メートルで出場を果たす。2011年、陸上競技を現役引退。13年に東京五輪・パラリンピック開催が決定後、競技種目をパワーリフティングに変更し現役復帰した。翌年の全日本選手権の男子54キロ級で初優勝。同年のインチョンアジアパラ競技大会では6位入賞を果たす。今年1月の全日本選手権で自身の持つ日本記録を塗り替える135キロで優勝。4月にリオパラリンピック日本代表に内定した。乃村工藝社所属。


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