151124topics 今年6月に東京オリンピック・パラリンピック大臣に任命された遠藤利明氏。5年後の大会成功と、その後のスポーツ振興に向け奮闘している。昨年4月、パラリンピックの管轄が厚生労働省から文部科学省へと移管され、オリンピックとの一元化が実現した。今年10月にはスポーツ庁が発足し、初代長官には日本水泳連盟会長を務めた鈴木大地氏が就任した。2020年東京オリンピック・パラリンピック、その後の発展に向けてのムードが高まる中、東京パラリンピックが未来の共生社会につながる可能性とは――。遠藤大臣を直撃した。

 

伊藤: 今回は、遠藤利明東京オリンピック・パラリンピック大臣にお越しいただきました。さて先日、車椅子バスケットボールの男子日本代表がリオデジャネイロパラリンピックの出場権を勝ち取りました。

遠藤: 本当に良かったです。私は、開会式に行って、最初の試合を観てきました。正直、初めて車椅子バスケットボールを観たのですが、もうちょっと穏やかなスポーツかと思っていましたよ。しかし、実際はまるで格闘技のようでしたね。

 

二宮: 私も初めて観た時は、その激しさに驚きました。

遠藤: ガツガツぶつかりますよね。2人で相手チームの1人を車椅子で挟んで、動けない様にディフェンスをしていた。"こんなに激しいスポーツなのか""よくケガをしないなあ"と思いましたよ。

 

二宮: そうですね。まるで映画「ベン・ハー」に出てくる馬車みたいでしたね。

遠藤: そうそう(笑)。それで先日、競技用の車椅子がどんなものなのかと、日本を代表する車椅子メーカーの「オーエックスエンジニアリング」に行ったんですよ。

 

伊藤: 試乗もされたとお聞きしました。

遠藤: ええ。体験してきました。ちょうど車いすテニスの国枝慎吾選手も車椅子の調整に来ていたんです。それで国枝選手が使っている車椅子に乗ってみたんですよ。やはり機械の性能が良くて、すごく軽やかに運転出来るんです。ですが選手たちは当然、ラケットを持って漕がなきゃいけない。あれはやってみると分かりますが、本当に難しいんです。

 

二宮: ただ打つだけでなく、チェアワークの技術も問われます。

遠藤: 大変ですね。だから、パラスポーツの選手は並大抵じゃないなと思いました。そこに至るまでのメンタリティや、選手になってからのテクニックを含めたトレーニングとかね。

 

 いつか会場を満員に

 

二宮: 話は戻りますが、車椅子バスケットボールの選手は障がいに応じて、重い順に1.0点から4.5点まで8段階に分けられており、コート上の5人の合計が14.0ポイント以内でなければなりません。つまり障がいの軽いハイポインター(持ち点の高い選手)と障がいの重いローポインター(持ち点の低い選手)をうまく組み合わせてメンバー構成をしなければいけないわけですよね。試合では、ローポインターが相手のキープレイヤーを身を挺して止めるなどしてスペースをつくり、ハイポインターを自由にプレーさせることで得点力を発揮させます。それぞれが役割をきっちりこなし、戦う姿はこの国が目指す共生社会そのものでした。

遠藤: そうですね。あれこそ、まさにチームワークです。今回、私は試合を観て、改めてパラスポーツは面白いと感じました。面白くなければ、お客さんは会場に足を運びません。この大会でも大勢の観客が来ていましたが、まだ会場は満員にはなっていませんでしたので、いつか満員にできるようにしたいですね。

 

伊藤: 是非、パラスポーツで会場を埋めるところを見てみたいですね。

遠藤: それを積み重ねていくことで、スポーツ文化が根付いていきますよね。オリンピックやパラリンピックで活躍すれば、スポーツへの関心が出てくる。選手たちにも頑張ってもらいたいですね。

 

二宮: 車椅子バスケットボールでは、ポイントの計算もあり、非常にゲーム性があって面白いです。ファンがどんどん増えていけば、それがまた選手たちの励みになるでしょうね。

遠藤: この前、水泳のジャパンパラ競技大会にも行ってきましたが、毎年毎年、お客さんも増えていっているそうですね。企業がCSR(企業の社会的責任)ということで、かなり力を入れてくれているとお聞きします。そういう意味でも、ここ1、2年は大きく変わったかなと思いますね。

 

伊藤: 車椅子バスケットボール男子日本代表の及川晋平ヘッドコーチも、リオパラリンピックの出場権を獲られた後に「観客の応援がこれだけ力になるということを身に染みて感じた」とおっしゃっていました。これまでは空席が目立つ会場で試合をしてきたと言いますから。

遠藤: 多くの人に見てもらえることを、選手たちも望んでいるでしょうから、もっと盛り上げていきたいですね。

 

(第2回につづく)

1511ch遠藤利明(えんどう・としあき)プロフィール>
1950年1月17日、山形県生まれ。中央大学法学部に入学後、ラグビーを始める。ポジションはスクラムの最前線を担うプロップを務めた。大学卒業後、山形県議会議員を経て、93年に衆議院議員に当選。以降、文部科学副大臣、農林水産委員会委員長、自民党幹事長代理を経験し、現在、東京オリンピック・パラリンピック大臣としてスポーツ環境整備などに尽力している。


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