%e5%a4%96%e3%81%ae%e5%86%99%e7%9c%9f%e7%ac%ac%ef%bc%92%e5%9b%9e%ef%bc%88%e5%8a%a0%e5%b7%a5%e6%b8%88%e3%81%bf%ef%bc%89 愛媛FCユースを経て、現在は国士舘大学サッカー部に所属する大森遊音だが、出身は広島県尾道市である。「親の仕事の関係で転校が多かったです。最初は岡山県倉敷市。幼稚園の時は尾道で、小1の終わりからは2年間だけ東京の板橋にも住みました。小3の終わりに尾道に帰ってきたんです」と大森。いわゆる転勤族だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

<2016年11月の原稿を再掲載しております>

 

 

 転校が多かった少年がサッカーを始めたのは小学1年の時だった。3歳上の兄の影響だ。「兄貴がサッカーをやっている姿を幼稚園の頃から見ていました。兄が入っていたクラブチームは小学生にならないと入れなかった」。小学校にあがった大森は兄が属していた尾道東ジュニアフットボールに入団。攻撃の全権を握るトップ下を任された。それは板橋に越しても変わらなかった。板橋では高島平のクラブチームでタクトを振るった。

 

消極的なプレーを叱ってくれた父

 

 小学生時代を大森はこう振り返る。

「この時は技術面でも自信を持っていました。昔の自分の映像を見ると、小、中学校の時のプレーはドリブルとスルーパスばかりでしたね」

 

 テクニックに自信を持っていた大森はキャプテンも務めた。するとプレーでも姿勢でもチームを引っ張る主将に転機が訪れる。小学6年の秋頃から中学生対象のサンフレッチェ広島の下部組織の支部であるサンフレッチェびんごジュニアユースの練習に参加した。大森がトレーニングに加われたのは、クラブチームのコーチが掛け持ちで、びんごの指導にもあたっていたことがきっかけだった。

 

 この練習参加を「初めての挫折でした」と大森は語り、こう続けた。

「中1のチームに交じったんですが、プレッシャーも速くてレベルが高い。小学生の中でプレーしている時は、自分が指示を出す方でしたから他の選手に指示されることなんてなかった。この時はビビッてしまって、自分のプレーができなかったです。ボールを受けにも行かなくなってしまって……。よく親にも怒られました」

 

 グラウンドで四苦八苦していた大森。そんな息子の様子を見守っていた父・敬は当時のことを振り返る。

「小6と中1ではボールの大きさも違うし、コートも大きい。相手の体格も違うこともあり、思い通りのプレーができない。そういうこともあって、陰に隠れて積極的にボールをもらいにいかなくなってしまったので、注意しましたね。(遊音には)キツめに言ったかもわからんですね(笑)」

 

届かなかった全国大会

 

 徐々にボールやコートの大きさ、当たりの強さに慣れていった大森は無事にびんごに入団することができた。最高学年になるとここでもキャプテンに任命される。中学3年間で最も印象に残っている大会は「中3の時の高円宮杯U-15プログレスリーグ」と言う。

 

 15歳以下のナンバーワンを決める高円宮杯全日本ユースU-15の中国地方予選となる大会だ。上位3位に入れば高円宮杯、いわゆる“全国”へ出場できた。しかし、大森たちの代は中国地方で4位に終わった。

 

 大森は「準決勝でサンフレッチェの本部(サンフレッチェ広島ジュニアユース)に負けてしまって3位決定戦に回ったんです。3位決定戦の相手は山口県のクレフィオFC。0-2で負けてしまいました。自分たちは全国大会に行く気満々だったので試合後は相当泣きました。試合後に撮った写真もあるんですが、(写真写りが)泣いた後ですね」と笑いながら懐古した。

 

 父・敬は会場へ応援に駆け付けていた。我が子の落胆ぶりは父から見ても大きかった。

「私も試合を観戦に行きました。びんごが3年くらい全国から遠ざかっていので、親たちも期待していました。そういう期待に添えなかったというのもあったのでしょう。その日は息子に声はかけられなかったです」

 

 実は大森、この予選の前にサンフレッチェユースのセレクションに落選していた。サンフレッチェの下部組織の支部にいたのだから、「サンフレッチェのユースに行きたい」と思うのは至極当然だった。大森も「高校サッカーよりJリーグの下部組織でサッカーがしたかった」という。だからこそ、その悔しさを全国大会に出て晴らしたいと思ったのだろう。しかし、あと一歩で全国への切符には手が届かなかった。

 

 思い通りにはいかず、悩んでいた中学時代の大森。そんな彼に救いの手を差し伸べたのは、父・敬だった。

 

(第3回につづく)

 

<大森遊音(おおもり・ゆおん)プロフィール>

1995年9月9日、広島県尾道市出身。小学生の頃からサッカーを始める。尾道東ジュニアフットボールクラブ―高島平サッカークラブ―尾道東ジュニアフットボールクラブ―サンフレッチェびんご―愛媛FCユース。読みの鋭さと当たりの強さを生かしたボール奪取が得意なボランチ。2015年には関東大学サッカー選抜にも選出された。171センチ、65キロ。

 

 

 

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