20年間の現役生活で一番学んだことは準備の大切さです。何の仕事でもそうでしょうが、準備が万全でなければいい結果は出ません。たまたまいい結果が出たとしても、長続きしないでしょう。

 

 東京ドームにはロッカーとサロンをまたぐ通路があります。ここが僕の準備の場でした。通路に敷かれた人工芝の上で走塁のスタート練習をするのです。

 

 距離にすると10メートル弱。元々はただの通路ですから、危険と言えば危険です。でも僕にとっての戦いは、ここから始まっていたのです。

 

 代走を専門にしていると、よく「集中力を保つのは大変でしょう?」と聞かれます。実はこれ、逆なんです。集中し過ぎないことの方が大切なんです。

 

 なぜなら、代走という職業は、いつ出番がくるかわからない。試合が始まって、いつか、いつかと緊張していては身も心も持ちません。

 

 また、一度、集中力をピークに持っていくと、切れた後、気持ちを立て直すのが難しい。それなら、最初から心に余裕を持っておいた方がいい。もしかしたら、出番がないまま終わることだってあるわけですから……。

 

 これは同じ専門職でも、クローザーなどは大きく違う点です。クローザーは大体、出番が決まっています。いきなり「7回から行ってくれ」と言われることは、まずありません。心と体のピークを9回に合わせればいい。

 

 しかし、先にも言ったように、僕らは、いつ出番がくるかわからない。監督が「ここが勝負どころだ!」と判断すれば、早いイニングから仕掛けることだってあります。だから自分で出番を決め打ちしない方がいいんです。

 

 印象に残っている盗塁は、2002年、西武との日本シリーズです。代走で2回走り、2回とも成功しました。ひとつは追加点にもつながりました。

 

 プロ野球選手にとって日本シリーズは特別な舞台です。ひとつの盗塁の成功、失敗が勝負に直結してきます。そんな大舞台で2つも成功させたわけですから、この先もやっていける、と大きな自信につながりました。

 

 さて、そろそろ結論を述べましょう。なぜ準備を徹底して行うのか。それは不安を少しでも減らすためです。野球というゲームはピッチャーを中心にして進みます。盗塁だって、ピッチャーがボールを投げなければ、先の塁を盗むことはできません。その意味ではピッチャーが主導権を握っている競技と言っていいでしょう。

 

 しかし、準備を徹底して行うことで、受け身の立場のランナーでも少しは主導権が握れるようになるのです。こうなるとシメたものです。将来的には指導者として、僕の経験や技術を後輩たちに伝えたいと考えています。

 

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<鈴木尚広(すずき・たかひろ)>

1978年4月27日、福島県出身。97年、ドラフト4位で巨人に入団。俊足を生かし主に代走、守備固めとして活躍。7度のリーグ優勝、3度の日本一を経験した。05年から10年連続2ケタ盗塁を記録。08年には外野手としてゴールデングラブ賞に輝いた。14年4月に通算200盗塁を達成すると、翌月には代走での盗塁NPB新記録(106)をマークした。今季限りで現役を引退した。通算成績は1130試合、打率.265、10本塁打、75打点、228盗塁。


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