熱戦が繰り広げられた日本シリーズは、北海道日本ハムが制しました。2連敗からの4連勝は見事としか言いようがない戦いぶりでしたね。広島も近年にない強さを見せてくれました。来シーズンも期待したいと思います。
 さて日本シリーズが終わると、ファンのみなさんの関心は各球団の秋季キャンプへと移るのではないでしょうか。秋季キャンプについて今の選手はどう感じてるかわかりませんが、自分が若いころは「また苦しい練習だよ~」とモチベーションを下げていたのを思い出します。

 

 一番苦しかったキャンプはプロ入り6年目、福岡ダイエーホークスに新監督が来られた時でした。朝のアップからランニング地獄。120m×20本、100m×20本、80m×20本、50m×20本、30m×20本……と合計100本ダッシュ。ダッシュと言いながら、自分はすべて半分ジョギングで、半分歩きでした。あくまでこれがアップなので、その後のランニングの量はわかっていただけますよね(汗)。「こんなに走ったって野球はうまくならないよ~」とみんなでブツブツ言いながら走っていたのを覚えています。何かにつけて文句ばかり言ってたから大した選手になれなかったんだろうなと反省してますが……。今回はキャンプについて書かせていただきます。

 

 秋季キャンプの報道を見ると、監督やコーチのこんなコメントをよく目にします。「地獄のキャンプだ」「一から鍛え直す」「選手は覚悟していた方がいい」「休みなしだ」など、指導者の気合いが伝わるコメントばかりです。しかし、考えてみてください。このコメントがそもそも正しいのか、と。ファンの方はこういうコメントも楽しく見ていることと思いますが、実はよく考えてみると全く意味のないことのように思います。
 先ほど自分が一番きつかったキャンプのことを書きましたが、当時のホークスは最下位を含めてBクラスをウロウロしているチームでした。あのときも「勝つために地獄のキャンプにする」と新聞に書かれていました。本当にランニング地獄のキャンプでしたが、それがチームを強くしたかといったら全く効果はなく、次の年もいつもと同じように下位に沈んでしまいました。

 

 そもそも、練習をたくさんさせたからチームが強くなるというのはあまりに短絡的ではないでしょうか。必要なのは根拠のある練習だと思います。
 記者の方々も「地獄のキャンプをやる意味は?」「きつい練習を選手にさせれば強くなるという根拠は何ですか?」などと質問をするのが当たり前と思うのですが、ニュースを見る限り、そんな質問をぶつけたのを見たことがありません。

 

 常套句として「地獄の」というフレーズが使われているだけという気がしてなりません。そもそも秋季キャンプに臨むにあたって首脳陣が何も考えてないから、「地獄だ」「覚悟しろ」「鍛える」など、簡単に使える言葉を本当に簡単に使ってしまっているのではないでしょうか。

 

 チームを真剣に強くしたいと考えるのなら、地獄のキャンプなど全く必要なく、まず監督、コーチ自身が自分の采配や指導、選手への接し方が正しかったのか検証する必要があります。選手は体を酷使して頑張ってきたのですから、監督、コーチは頭をフル回転させ、考えなければいけません。
 過去の実績や自分がやってきたことを踏襲するだけなら、指導者としての資質に首を傾げざるを得ません。「頭を使わないのは悪」ですから、まずシーズンの分析、そしてこれから何が必要なのか。そういった検証があって初めて、次の一手を打てるわけです。

 

 選手の方も自身の成績を振り返ることが重要です。それぞれが今季の成績を振り返り、結果が出たのならなぜ結果が出たのか、結果が残せなかったのならその原因と目標とどれだけの乖離があったのか。そうしたことを把握した上で、練習方法や考え方が間違っていたのではないか、と指導者と一緒に真剣に熟考する。これが一番重要だと自分は考えてます。
 そうやって考えることで、必ず答えが出てきます。選手自身がキャンプでの目標を明確にして練習に取り組むのですから、地獄などと言わなくても選手たちは自発的に練習をやり始めます。内発的に動機づけられた状態で練習に取り組むのと、言われたからやる練習では成果が大きく変わってくることは、誰が考えても明白でしょう。

 

 自由放任主義ではなく、そして強制でもない。選手自身が考え練習メニューをコーチと一緒に作るキャンプこそ、今の球界に求められているのではないでしょうか。チーム強化に必要なのは決して地獄のキャンプではありません。では、また次回よろしくお願いします。

 

1600314taguchi田口竜二(たぐち・りゅうじ)
1967年1月8日、広島県廿日市市出身。
1984年に都城高校(宮崎)のエースとして春夏甲子園出場。春はベスト4、夏はベスト16。ドラフト会議で南海ホークスから1位指名され、1985年に入団し、2005年退団。現在、株式会社白寿生科学研究所人材開拓グループ長としてセカンドキャリア支援を行なっている。

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