二宮: 田口さんは、アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場しています。最も印象に残っている大会は?

田口: どの大会も良かったのですが、なかでもロンドンは素晴らしかったですね。環境面はもちろん、競技場の雰囲気が他の大会とは違いました。"身内"や"関係者"ではなく、あれだけたくさんの一般の人たちが家族や友達と一緒に観に来てくれるというのは、これまでのパラリンピックではなかったことです。その集客力のすごさとパラリンピックへの関心の高さに驚きました。

 

二宮: 障害の有無に関係なく、スポーツを楽しむという環境が整っていたと。

田口: はい、そうなんです。射撃の会場も観客であふれていました。いつもは楽に取れる家族や知人のチケットが取れなくて、困っている選手がたくさんいたほどです。試合後に他の競技を観に行ったのですが、どこも盛り上がっていましたね。オリンピックパーク中が、スポーツを楽しむ人たちでいっぱいでした。

 

二宮: 運営はいかがでしたか?

田口: 運営も素晴らしかったですよ。特にボランティアの人たちの対応が良かったですね。誰に対しても丁寧に接してくれましたし、何よりも自分たちでパラリンピックを盛り上げようという雰囲気がありました。今回、ボランティアの人たちを「ゲームズメーカー」と呼んでいたんです。これもこれまでにはなかったことですね。

 

二宮: 「ゲームズメーカー」というのはいいですね。つまり、自分たちも大会をつくっている一員なんだと。

田口: はい、そうです。そういう意識の中でやっているからこそ、言われたことをやっているのではなく、自発的な感じがして、とても気持ちが良かったですね。私はエアライフルの試合のときに調子が良くなく、一番最後まで撃っていたのですが、打ち終った時、最初に称賛の声をあげてくれたのが、ゲームズメーカーの人たちでした。そしたら、観客からも拍手が起こって......。点数が悪くてがっくりときていたのですが、その歓声と拍手のおかげで笑顔で終えることができました。

 

二宮: 街中の様子はいかがでしたか?

田口: 至るところに大きなポスターが掲げられているんです。そこに写っているパラリンピアンが、本当にかっこいいんです。オリンピアン同様、アスリート扱いされているなと感じましたね。テレビのコマーシャルにも出てきたり......。

 

二宮: まさに日本が目指すところですね。

田口: そう思いました。「東京で開催されたら、こんなふうにできたらいいな」というものがたくさんありました。

 

 次なるステージに向けて

 

二宮: 選手村はいかがでしたか?

田口: 過ごしやすさは、他の大会と変わらず快適でした。そして、あくまでも個人的感想ですが、食事はこれまでのパラリンピックで一番美味しかったです。

 

二宮: ロンドンの食事でそれは意外です。

田口: 日本食はもちろん、さまざまな国の料理が取り揃えてあって、バラエティに富んでいました。さらに食堂とは別に、外にはバーベキューコーナーもあって、楽しむことができました。でも、実は最初、「ロンドンの食事は最悪や」なんて思っていたんです。というのも、何を食べてもまったく味がしなかった。ところが、自分の試合が終わった途端に、「あれ、美味しい!」と......。つまり、試合前はあまりの緊張で味がしなかっただけだったんです(笑)。

 

二宮: それほど、ロンドンでは本気でメダルを獲りにいったと。

田口: はい、そうでしたね。今回ロンドンは3大会目の出場だったので、アテネ、北京と同じ入賞ではだめだと思っていました。メダルを獲得しなければと。ただ、そういう気持ちがある一方で、仕事をしていたため、基本的に練習は週末に限られていました。どんどん上がっていく競技レベルに「こんな練習量でメダルが獲れるのか」という不安もありました。「こんな練習量で獲れるわけがない」と逃げ腰になっている自分が嫌で、「メダルを獲るんだ!」と自分で自分を追い込んでいたんです。また、障害者射撃で日本選手は未だメダルが獲れていないこともありました。メダルを獲れば、もっと射撃の知名度が上がって競技人口も増えるのではないか。そうやってどんどん自分自身を追い込んでしまい、精神的には、これまでで最もきつかったパラリンピックでした。

 

二宮: 次のリオデジャネイロも目指しているんですよね。

田口: 今はまだはっきりと「リオを目指しています」とは言い切れないところがあります。仕事と競技とをどうやって両立させていくのか、自分は何を目指していくのか......そうしたことを、今はしっかりと考えたいと思っています。もちろん、射撃は続けていくつもりです。

 

二宮: 9月には、2020年大会の開催都市が決定します。東京も十分に可能性があると思っていますが、東京大会に出たいという気持ちは?

田口: 2020年まで競技を続けたいという気持ちはあります。射撃という競技は、選手寿命がとても長いんです。ロンドンでの最高齢は70歳。しかも、彼女はファイナリストになりました。だから、年齢的にも問題ありません。2020年オリンピック・パラリンピックが東京で開催されることになれば、それが国の目標となり、日本が一つになって盛り上がるのではないかと信じています。パラリンピックも障害者だけでなく、子供や被災地の方々など日本国民全員がゲームズメーカーとなって作り上げられたらと思います。私自身も2020年まで続けられるように、技術面、精神面、そして競技を続けるうえでの環境面をしっかりと整えていきたいと思います。

 

(おわり)

 

田口亜希(たぐち・あき)プロフィール>
1971年3月12日、大阪市生まれ。大学卒業後、郵船クルーズに入社。25歳の時、脊髄の血管の病気を発症し、車椅子生活になる。退院後、友人の誘いでビームライフルを始め、その後ライフルに。アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場。アテネでは7位、北京では8位に入賞する。現在は郵船クルーズに勤務する傍ら、競技生活を続けている。英語も堪能で、2016年五輪招致活動では最終プレゼンターを務める。今年3月には、20年五輪招致における国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会の前でプレゼンテーションを行なった。


◎バックナンバーはこちらから